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      <title>Japan and World Trends [日本語]</title>
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      <description>日本では自分だけの殻にこもっているのが、一番心地いい。これが個人主義だと、我々は思っています。でも、日本には皆で議論するべきことがまだ沢山あります。そして日本、アジアの将来を、世界中の人々と話し合っていかなければなりません。このブログは、日本語、英語、中国語、ロシア語でディベートができる、世界で唯一のサイトです。世界中のオピニオン・メーカー達との議論をお楽しみください。</description>
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      <copyright>Copyright 2008</copyright>
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         <title>「最上川・北上川経済圏」－－旅行記</title>
         <description><![CDATA[今から２年前になるが、米沢、山形、仙台とまわっていろいろな方から話を聞いたのを、まだまとめていなかったので、ここで書きとめておく。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Copyright ©０８．１１　河東哲夫
<strong>「最上川経済圏」</strong>
山形新幹線は、奥羽本線を広軌にして新幹線車両を通しているのだが（カーブが多いので、あまりスピードは出せない）、それが木々の間をかなりの急勾配を上っていくと、まるで桃源郷に入っていくような感じを受ける。

酒田で日本海に注ぐ最上川は山形県を東西南北に貫いていて、それが形作る豊かな盆地に酒田、鶴岡、尾花沢、新庄、山形、米沢と古い城下町が並んでいる。まさに最上川を動脈として形成された経済圏だ（今では岩手、仙台、秋田、福島などとの間も結ぶ、発達した高速道路網が川の代わりを果たしている）。
最上川で米やその他作物を運び出し、酒田で回船が集荷して大阪市場へもっていったものだろう。江戸時代は食用油に使われた紅花が特産品で、酒田の豪商本間家も、それで随分儲けたらしい。紅花は今では山形県の県花になっている。

そして最上川が流れる盆地の周りは殆ど山で、南西の方には山伏とか生き仏で知られる羽黒、湯殿、月山の出羽三山が、その北には鳥海山がそびえる。
こうした歴史的、文化的な深み、そして米、果物、海産物、米沢の牛肉、その他美味な食物、趣味のいい織物、鋳物製品（茶の湯釜の大半は山形産だそうだ）などが相まって、この一帯は桃源郷のようなところとも言える。

<strong>米沢という町</strong>
最初に米沢で汽車を降りた。ここは街が計画的に作りかえられていて（道路が駅前から放射状に伸びている）新しい感じがするのだが、僕の行った日は割りと閑散としていた。
駅前には「米沢牛」のレストランがいくつかあって、そのうちのひとつでビフテキを注文したが、焼き加減を聞きもせず僕の好きなミディアム・レアでもってきてくれたのは嬉しかった。

街は鄙びているのだが、<strong>米沢は実は工業出荷額では山形県で随一</strong>だそうで、それは郊外に工場団地があるからなのだ。行ってみる時間はなかったが、パイオニアや三菱マテリアルの工場（後者はシリコン・ウェファーを作っているらしい）があるそうだ。

米沢で降りたのは、<strong>上杉鷹山</strong>（１８世紀後半、米沢藩主）の故地であるからだ。僕が米沢に来たのはまだ小泉政権の頃で、財政改革が大きな課題となっており、年間総生産を超えるほどの借金を解消し、健全財政を実現した鷹山は話題を呼んでいたのだ。今、ウィキペディアを見てみたら、鷹山はケネディやクリントンにも知られていたらしい。内村鑑三の本に出てくるからだそうだ。「生せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」というのは、鷹山の言葉だそうで。

で、米沢には立派な上杉鷹山博物館というのがある。入り口を入ると能舞台がしつらえてあったりして、建物は素晴らしいのだが、鷹山の業績展示となると、まだこれからだという気がした。

でもここで学んだことは、彼は改革の初期に反発が強く、実を挙げる前に家督を次に譲っていることである。その後後見役として藩政に発言し、やっとその死後になって藩の財政は黒字になったということだ。これでは、小泉さんの参考にはならなかったろう（それとも、今まさに後見している？）。

彼の抱えていた問題は、会津から移ってきたこの藩は（かの謙信の上杉家なのだが、関が原の戦いで豊臣側につき、そこで山形を根城とする最上義光にやられて、米沢に移されたらしい）、会津時代の多数の役人達をそのまま養っていたということだ。今もそうだが、役人の数減らしと言っても、家族もある人達をそんな簡単に首切るわけにいかないから、引退を待っているうちに月日が経ってしまったのだろう。

彼はまた、産業を振興もしている。陶器、織物、彫り物などが盛んになったという。でもまあ、それは藩財政改善にさして役に立ちはしなかったろうが。

だから、上杉鷹山が今の世に意味があるのは、その政策よりも心構えなんだろうと思う。社会全体のことを思い、目標を長期にわたって追求していく（多分、身辺もきれいなんだったろうと思う）ということ。もっとも、そんなのは現在のせちがらい、テンポの速いポピュリズム社会では無理ですが。

上杉鷹山博物館で知ったもうひとつのことは、ここ米沢は有名な民法学者、我妻栄博士の生地であるということだ。彼の生家は記念館になっているということだが、それはたった今、インターネットで知ったところ。事前に知っていたとしても、法学は嫌いだから行かなかったろうが。

<strong>山形</strong>
山形市は人口が２５万人、大都市一歩手前の都市で、その面でのあらゆる良さと悪さを持っている。
駅前にタクシーが何百台もいるのでは、と思われる仙台もそうなのだが、山形でもタクシー運転手は困っていた。皆、山形県庁の前に行列して客を待つぐらいしかないそうで、もうタクシー運転手だけでは生活ができなくなっている。「１５年前まではいい仕事だったのに」と嘆いていた。

山形ー仙台のバスが賑わっており、年間１３０万人が利用している由。女性が仙台にショッピングに行くのが多いらしい。
鉄道ももちろんあって仙山線というが、この今まで地図でしか見たことのなかった鉄道に乗ってみると、山の中を行くのだが結構開けていて、全体の感じは例えば東京の青梅線という感じ。山形から仙台まで１時間で行ってしまう。


<strong>大学の役割</strong>
東北大工学部は実学の伝統があって、金属材料研究など名高いが、戦前例の八木アンテナが開発されたのはここだそうだ。
山形大学も、その工学部で名高い。この工学部があるおかげで（戦時の工場疎開も原因のひとつ）、米沢には工業団地があってミシン工場などが進出している。

そしてこの工業団地には産学連携拠点「有機エレクロニクス研究所」がある。世界で始めて高輝度の白色有機ELを開発した城戸淳二・山形大教授が中心になって、パナソニックなどと共同研究をしてきたものだ（以上は０８年１０月１０日の日経記事による）。今回は見に行く時間がなかった。

岩手大学工学部は、岩手に立地を始めたトヨタ等自動車工場の人材供給源となっている。
既に述べたように、岩手、仙台、山形、酒田、秋田のあたりは高速道路網で緊密に結び付けられており、これがあるから<strong>自動車工場も岩手に立地を始めたのだ。数年前の地震が契機となって、日本の自動車会社は日本の数箇所に生産拠点を分散させた。そのおかげで今や九州、岩手が自動車生産の中心地のひとつになってきたのだ。

<strong>中国人観光客を増やしたい</strong>
県庁とか市役所に出入りすると、ここでも最近中国人観光客が増えていて金を落とすので、もっと増やしたいがどうしたらいいか、というようなことを聞かれる。
僕はこういうことを聞かれると、「ごもっともですが、では中国人はどんな便器を使っているかご存知ですか？」と答えることにしている。外国人観光客、特に婦人が外国で最も苦しむのは食事、そしてその結果としての便器なのだ。そしてそのことを日本人は知らない。世界中で違う便器を使っていることを知らないか、または西洋式便器が世界で一番進んでいて、これをつけたからもう大丈夫、ということなのか。
でも、そんなことはない。この前は木曾の妻籠に行ったら、オーストラリアから婦人たちが５，６人、日本語もできないのに、鉄道でまわっていた。コースが決まっているからだ。で、彼女達が困っていたのはやはりトイレだったのだ。

だから、ポスターを作ったり、中国を訪問して宣伝したりするよりも、中国人の使いやすいトイレを沢山作り、それが口コミを通じて中国全土に喧伝される方が、よっぽど観光客増加に役立つだろうと思う。

<strong>仙台を中心とした経済圏</strong>
最上川経済圏からは離れているが、仙台（人口約１００万人）の発展振りはすごい。街並みが垢抜けていて近代的だ。
もっとも専門家に言わせれば、「支店経済」（仙台を本店とする大企業が少ないということ）であり、建設業への依存度も大きいらしい。例えば仙台にある「東北経連」（経団連の東北版。新潟までカバー）の事務局では３０人が働いているが、そのうち１０名ほどは東北電力からの出向者で、プロパーは１０名ほど、残りが日本政策投資銀行、新日鉄、ＪＴＢ、ＮＴＴ東日本、ＪＲ東日本、７７銀行なのだそうだ。

日本には全部で８の地域経団連があるそうだが、仙台にある東北経連は新潟までを含んでいる。この経済圏の人口は１，２００万人で全国の１０％なのだが、ＧＤＰでは全国の８，５％にしかならないそうで（２００５年）、公共事業への依存度が大きい。全国の公共事業費の１３％はこの経済圏で消費されている由。

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         <category>街角での雑想</category>
         <pubDate>Mon, 17 Nov 2008 01:59:01 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>「プーチン大統領」返り咲き？</title>
         <description><![CDATA[●１１月５日の年次教書でメドベジェフ大統領が、「<strong>大統領任期をこれまでの４年から６年に延長</strong>するための憲法改正」を提案したことは、モスクワで大きな反響を呼び起こしている。

「すわ、憲法を改正した上でメドベジェフが早期に辞任して前倒しの大統領選挙をやり、それにプーチンが出馬して当選、そこから２期の合計１２年間勤めることになるのだ」という観測が多い。

●既に憲法改正のための法案は議会に提出され（ものすごく手回しがいい）、もしかすると今週中には採択されてしまう情勢だ。ロシアは非常に機敏な統治ができて、上に立っている者にはこたえられないだろうが、英国のタイムズ紙はその社説で、これは恥を知らない措置でロシアの将来に害をなす、と書いている。

●メドベジェフもプーチンも内外のマスコミから質問攻め（いつ大統領選をやるんだとか、プーチンが大統領に返り咲くのか等）にあっているが、両者とも尻尾をつかませない。
彼らが当面のロシア政局をどう運んでいくつもりなのか、両者の回答ぶりからはまだわからないということだ。

●ロシアの内部ソースを引用して、「プーチンはまだ返り咲きを決心していない。いずれにしてもプーチンは二流・三流の国の要人と会談したり（失礼な物の言い方で。まさか日本は・・・）、方々で挨拶ばかりしているような空疎な仕事はやりたくない。重要な決定だけ作っていたい」（Stratfor)のだそうだが、これはまた無理な注文で、力のある人には皆群がるし、是非自分達の催しにやってきて挨拶してほしいものなのだ。

●リベラルな評論家（前議員）ウラジーミル・ルイシコフは、「政権は、景気が悪化して社会状態が悪くなる前に、憲法を改正しておきたかったのだ」と論評している。

確かに、１１月１０日イグナチエフ中央銀行総裁がルーブルの変動幅拡大を容認する発言をしたために、市場ではルーブル売り姿勢が強まった。
次の日の１１日、中央銀行は１日だけで７０億ドル分の介入をしてルーブルを買い支え、この介入額はその前の週全体の分に相当したのだそうだから半端じゃない。もっともその御蔭もあって、ルーブルはそれほど下落していない。

だがルーブルはこれからも下落圧力を抱えたままで推移するだろうし、ルーブルが下がればインフレとなって社会情勢は悪化するだろうから、上記のルイシコフ氏の発言ももっともなのだ。

●大統領任期延長については、別の（能天気の）解釈も可能だ。
「ロシアは今、国家統治体制を『メドベジェフ用に』模様替えしようとしている。
５日の教書でメドベジェフ自身が言ったように、①議会に野党を増やし、②地方の自治権限を高め、③全国における与党の力を高める等の一環として、と言うか、それらのすべての土台である大統領権力を４年に１度選挙の洗礼を浴びるような脆いものではなく、６年ないし２期１２年という安定したものとしよう、という深謀遠慮なのかもしれないのだ」という解釈。

だが、政治は人。いかなる立派なアイデアも、具体的な人間として具象化されると、「せっかく憲法を改正したのなら、早く大統領選挙をやって、国を安定した基盤に乗せるべきだ。今は経済危機だし」などという議論が沸き起こり、皆私心を秘めてやれプーチン支持、やれメドベジェフ擁護というふうに分かれて、争い始めるかもしれない。

●そして、メドベジェフの「教書」では、地方統治においても与党の地位を強化することが謳われているが、これでは、政権党である「統一」の力が一層強くなり、政府と与党が合体していたソ連時代に回帰することになりかねない。プーチン首相は「統一」の党首でもあるので、そうなると共産党書記長が首相も兼ねるという最強の形態になるのだ。

プーチンやメドベジェフが「いや、そうではない。民主的にやらねばいけない」と思っていても、そしてそう発言したとしても、ソ連時代のことしか覚えていないエリート達が、自分の保身や栄達のことも考えて他ならぬプーチン、あるいはメドベジェフを担いでどんどんBack to the pastというシナリオも十分ありえるのだ。
Copyright ©０８．１１　河東哲夫







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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sat, 15 Nov 2008 14:28:02 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>プーチン首相の帰趨をめぐるロシア国内の諸観測</title>
         <description>ロシア経済は、原油価格の高騰、西欧資本市場からの借り入れで（石油資金が流入してインフレ気味のロシア国内より利子率が低い）建設・消費を膨らませ、株式市場に西側の資金を誘致しては８％内外の成長を享受してきた。

だが既に書いたように、この右肩上がりのスパイラルが今では後ろ向きに回り始めた。
グルジア戦争などで西側の資金はロシア株を売り払い、５月以来ロシアの株式は８０％も下落した。

そのため、株を担保に銀行融資を受けては事業を拡大してきたロシアの企業が困り始めた。
銀行が、不良債権化することを恐れて、おいそれとは貸さなくなったからだ。政府から公的資金を注入された大銀行も、同じく焦げ付きをおそれて中小銀行に資金を回さない。大銀行は、注入された公的資金をドルに代えては、価値の保全をはかっている始末だ。

これまで低利で借りることのできた西欧の資本市場は、サブプライム問題のために目詰まりを起こし、ロシアの企業はここで新規の起債ができなくなっている。そしてこれまでの借金の返済は次々に期日が到来するのだ。

こうしてロシアの企業は投資・運転資金に不足し、ローンに大きく依存してきた建設、消費も下落している。生産下落、操業停止が連鎖反応を起こし始めてきたようだ。企業はこの機会とばかりに、これまで種々の理由で抱え込まざるを得なかった余剰人員をリストラし、後ろ向きに走り出している。

この中で１１月５日、メドベジェフ大統領が初めての年度教書を読み上げた。現在の経済困難はもっぱら、「アメリカが使いすぎた」からということになっている。それはそれとして注目を浴びたのは、この教書発表が２度も延期されたこと、そしてメドベジェフが大統領の任期を現在の４年から６年に延ばすよう（もちろん憲法改正の手続きを経てである）提案したことだ。

「メドベジェフはショート・リリーフ。その後は憲法を改正して大統領任期を６年とし、大統領選挙をしてプーチンを再度大統領とする」というシナリオは、この１年くらいモスクワではささやかれてきた。
だから、「ははーん。噂はやっぱり本当だったのか」ということなのだが、それとほぼ同時、ロシアのマスコミの中にはプーチン首相辞任の観測を流すものが出てきた。

「早く辞任しないと、経済悪化の責任をおしつけられる。この頃のプーチン首相は極度に疲労している」ということなのだ。辞任しないでいると、経済悪化で暴動が起こったり、宮廷革命が起きてどのみち辞任せざるを得なくなると書くマスコミさえある。
そして彼の次のポストとして、世界オリンピック委員会次期委員長の座を提案する向きもある。
次の首相としては、セルゲイ・イワノフ副首相、グルイズロフ下院議長、シュヴァーロフ第１副首相、クドリン副首相の名が早くも上げられている。

一筋縄ではいかないロシア情勢。上の誰かが何かをもくろんで、こうした記事を殊更に書かせているのかもしれない。この動きには、いくつか解釈の仕様がある。

①プーチン大統領復活を狙う勢力に対して、メドベジェフのリベラル路線徹底を望む側近達が対抗するため、プーチン首相辞任説を流している。現に、辞任説を流しているのは、リベラル系と目されるマスコミだけだ。

②プーチン首相は本当に大統領返り咲きを狙っており、経済悪化の責任を取らされないうちに辞任して、大統領選に備えようとしている。その準備として、こうした記事を書かせている。

他にも解釈の仕様はあるだろう。だがプーチン大統領時代の経済成長が原油価格高騰のおかげであるならば、その下落のプロセスをうまくコントロールするのもプーチン首相の仕事だろうと思うのだが。
Copyright ©河東哲夫





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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sun, 09 Nov 2008 22:19:34 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>アフガニスタンをめぐる新しい動きに気をつけよう</title>
         <description><![CDATA[アフガニスタンについては米国が、日本もインド洋上の給油だけでなく、自衛隊を現地に送って反テロ活動をするよう要請していると報道されている。

ここでまた自衛隊海外派遣の是非をめぐって喧々諤々の論争を展開する前に、アフガニスタンをめぐる最近の動きを見ておきたい。自衛隊派遣をやっとのことで決めてみたら、その時には西側はもう撤退モードに入っていた、というようなことがないように。

一つは、情勢を不安定化させてきたタリバン勢力と話し合おうとする機運がアフガニスタン政府、そして西側の一部でやや本格化したことだ。
９月にはサウジアラビアで、英国の支援も得て両者が話し合っている。西側はタリバンをまずアル・カイダから引き離そうとしているが、タリバン側はカブールの政権と連立を組んだ場合のポストの配分とかNATO兵力の撤退計画策定とかを主張し、それも毎日要求をくるくる変えていたらしい。内部の統制が取れていないのだろう。

その話し合いの帰趨がうやむやのうちに、今度はアフガニスタン駐留の米軍がパキスタン領に越境してまでアルカイダ掃討作戦をするケースが頻発し（アルカイダは両国国境のバジリスタン地方を中心に活動しているらしい）、パキスタン政府から強硬な抗議をくらうという事態になっている。

この二つの情報をあわせると、アフガニスタンをめぐる西側の立場は悪くなる一方ということなのだが、そうでもないことを示すリークが最近のワシントン・ポストに行われた。つまり米軍の「越境」攻撃は、実はパキスタン政府の納得づくで行われている、「抗議」は世論向けのポーズだ、ということなのだ。

同種の情報はこれまでもインターネットでちらちら流れていて、今度のワシントン・ポストのはそれを裏付けるものだ。一体誰が何のために、こんな詳しいリークをしたのかはわからない。

いずれにしても、日本は他国の軍に守ってもらわなければならない自衛隊を派遣するより、カブール政権とタリバン・パシュトゥンとの話し合い、アフガニスタン・パキスタンをめぐる国際会議開催、パキスタンへの経済援助などで存在感を発揮する方が性に合っているのではないか？

<strong>１１月４日付けワシントン・ポストの記事</strong>は、論説委員のイグネイシャスが書いたものだ。要旨は次のとおりだ。

①米軍の無人機Predator等がアフガニスタンからパキスタン領に越境して行動することに、パキスタン側は表向きは抗議を繰り返している。しかし、パキスタン側は芝居をしているだけだ。
９月にザルダリ大統領が訪米した後、Predatorによる攻撃を両国間で調整するメカニズム、そして主要攻撃目標のリストが合意された。
ザルダリ大統領、そしてキヤニ新参謀長が、パキスタンにとっての主要な脅威はインドではなく、イスラム・テロであることを認識したことが、この合意を可能にした。
 
②右攻撃目標リストにはアルカイダのみでなく、かつてはパキスタン軍の諜報組織ISIがかばっていたアフガニスタンの軍閥Gulbuddin HekmatyarやHaqqaniクラン、そしてタリバンのリーダーであるモハマド・オマールが含まれている。またパキスタン・タリバンのリーダーと目されてきたBaitullah Mehsudもリストに含まれている。

③先週、パキスタンの諜報機関ISIの新長官Shuja Pasha将軍（注：ムシャラフ大統領の息のかかった前任者に代わったもの）がワシントンを来訪し、米軍・諜報機関上層部と会った。
１０月１６日、アルカイダのNo.4と目され、要員徴募を担当していたKhalid Habibがアフガニスタンで殺された直後だった。彼は、米軍無人機Predatorによって殺されたのだが、これは最近米・パキスタン諜報機関同士のヒューミント情報面での協力が進んできたおかげである。
 
米軍の越境攻撃に口先では抗議しながら裏では協力する、というパキスタン政府のやり方がいつまで続けられるかはわからない。だが、しばらくはこの作戦の帰趨を見守り、平和的解決のために日本ができることも検討していくべきだと思う。
Copyright ©河東哲夫

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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sun, 09 Nov 2008 21:40:36 +0900</pubDate>
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         <title>田母神空幕長の論文について</title>
         <description>田母神空幕長が民間団体の懸賞論文で、「この前の戦争で日本が侵略したというのは濡れ衣だ」という趣旨を書いて問題になっている。
新聞を見ていて嫌な気になった。念のためにインターネットで本文を読んでみた。その結果、報道とは少し違う印象を得た。

彼の言いたいことは末尾の方、日本の自衛隊は太平洋戦争の後遺症で集団自衛権なども援用できない不完全なものになっている、日米同盟は不可欠だがいつも依存しているのは不健全だ、もう少し自分で自国を守る気概を持とう、ということだ。これなら全く賛成。

この小論文ではてなと思うのは、日本が中国や朝鮮半島に軍を進めたのは条約に基づくもので侵略ではない、というくだり。
そのような論理は、満州が独立していて中国とは別の国家であったことを無視している。
それに、中国に当初どのような名目で日本軍が入っていたにせよ、南京制圧前後の作戦まで「条約に基づく」ものだったのだろうか？　

それに、田母神氏の言う「コミンテルンに操られた蒋介石に日本軍がおびき寄せられた」のがたとえ事実だったとしても、それで日本の行為は正当化できるのか？

田母神氏は、米国政府にもコミンテルンが入り込んでいて、日本を戦争に引きずり込んだのだと言う。
アメリカが日本に開戦させるため殊更追い詰めた、というのが事実かどうかはまだ定説のないところだし、たとえ事実だとしても、力の差が決定的であることが分かりきっていたアメリカにたたかれるようなところにまで自分を追い込んだのは、日本側の過誤だろう。

戦争責任の問題は、サンフランシスコ平和条約で政治的・法的な決着がついている。日本はそこで東京裁判の結果を受け入れたのだ。
これに感情的に納得できない人は、自分で戦いにいってほしい。仲間内だけで、俺たちは正しかったんだと確認しあってみても、世界を説得することはできない。

田母神氏は、東南アジア諸国は戦争中の日本軍を支持していたかのように書いているが、マハティールもリークアンユーも以前「私の履歴書」で、日本軍より英国統治の時代の方が人間的に扱ってもらえたと書いている。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

自衛隊の行動に数々の制約が課せられていることは事実だ。だが、太平洋戦争は侵略戦争ではなかったと叫んで見ても、その制約を外すことには役立たない。
日本の世論の過半はおそらく、太平洋戦争が日本の侵略だったと思っているからではなく、単に戦争が嫌だから自衛隊に制約を課したがるのだろう。
自衛隊の行動への制約を解きたいのなら、今回田母神氏が用いたのとは別の論理が必要だということだ。

戦後の世界では、植民地の奪い合いはもはやない。WTOに入っていれば、市場は一応確保できるのである。だから戦後の世界では、自衛力を持っていればいい。自衛力もいらないという人は、１９世紀の昔オーストリアとナポレオン軍の間で中立を守ろうとしたヴェネツィアが、両者によって分割されてしまった例を見れば、気を変えるだろう。

そして田母神氏が言うように、日米安保同盟は必要だ。これ無しでは日本はまさにヴェネツィアのようになる。そして日米同盟に安全保障の根幹を頼るのであれば、これまでのように米国は日本を守る義務があるが、日本は米国を守る義務はない、という片務的な関係ではもう駄目だろう。

ーーーーーーーーーーーーー―ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ところで田母神氏の処遇というか処罰の問題だけど、日本は法治国家なのだから法律に則ってやってもらいたい。「言ってはいけないことを書いたから」、「世間を騒がせたから」、というような村八分的論理でいつまでもやっていたら、アジア諸国にも顔向けできない。

「言ってはいけないことを書いた」というのも小児的な考え方で、それは実質的には「田母神氏の書いたことは正しかった、だが言ってはいけなかったのだ」ということになる。いったい誰が、「言ってはいけない」と決めたのか？　
正しいのかどうか、正面から議論してみたらいいだろう。　　　　　　　　　Copyright ©０８．１１　河東哲夫



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         <category>街角での雑想</category>
         <pubDate>Sat, 08 Nov 2008 01:49:51 +0900</pubDate>
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         <title>ロシア経済もサブプライム危機に巻き込まれるのか？</title>
         <description><![CDATA[<strong>産油国ロシアで金づまり？</strong>　
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　２００８年１１月３日
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　河東哲夫

世界中から搾りたてたオイルマネーがあふれているはずのロシアで、深刻な問題が起きている。
一言で言えば、こういうことだ。

つまり、これまでロシアはオイルマネーの大半を税金で取り立て（一部は予算に使い、残りは積み立てて外貨準備とする）、国内の企業活動はM&Aであれ、建設投資であれ、消費者ローンであれ、欧州の資本市場から短期資本を安く借りて賄っていたのだ。
ロシア人の貯蓄率が低く銀行に資金が集まらないことも、欧州の資本市場への依存性を高めた。

欧州で借りた金は返さなければならないが、期限が来ると同額をまた借りては、それで前の借金を返済する方式でうまくやっていたのだ。ところがサブプライム問題で猜疑心を募らせた欧州の銀行達は、ロシアにも殆ど貸さなくなった。

８月のグルジア戦争も外国投資家のマインドをすっかり冷やし、ロシアの株式市場から短期の外資が大量に引き上げた。ロシアの企業は株式発行で資金を集めることはあまりしないので、株価の下落もその点では響かない。だが銀行からの融資は自社株を担保として行われることが多いので、銀行は企業に金を貸さなくなった。
また大銀行も、不良債権化を恐れて中小銀行に金を回さず、こうしてロシア経済は金づまりとなった。オイルマネーはもっぱら政府、中銀、そして大銀行で停滞している。

こうして、ロシア経済の急成長を演出してきた建設、消費者ローンは大幅に縮小し、生産企業も次々に生産縮小の連鎖反応を起こしつつある。これまでコネに負けて余剰人員を雇用してきた企業は、むしろチャンスとばかりにリストラを始め、失業率を高めている。

これまで原油価格高騰を背景に高めにはりついていたルーブルは、８月以降、中銀がドルを大量に売却してもなお、１５％強下落（対ドル）した。

ロシアの銀行・企業等は年末までに４００億ドルを西側金融機関に返済しなければならないが、ルーブル下落はその負担をどんどん膨らませている。
現在、ロシアの民間対外債務は約５０００億ドルで、外貨準備額にほぼ等しく、GDPの５０パーセント相当だ。来年はさらに８００億ドルの返済が必要である。
またロシア人の個人預金は５兆ルーブル強あり（１８５０億ドル相当）、ルーブルからドルへの転換が進められると、外貨準備も随分苦しくなってくるだろう。

ただ個人預金の全てがドルに転換されるわけでもない。
またロシアは、３０００～７０００億ドルの在外資産を持っていると推定されている。
外貨準備は約５０００億ドルあって、輸入の２０ヶ月分ほどに相当する。
だから、当面の返済能力は十分だ。対外債務滞納（デフォールト）に陥り、ルーブルが３分の１、４分の１にも暴落し、株価は半年で８分の１に暴落した<strong>１９９８年８月のような破局にはなかなかなるまい</strong>。

あとは、原油価格低落がどのくらいの期間続くか、そして政府による救済支出がどこまで狙った効果をあげるかが（つまり横領とか官僚的な非効率とかが救済措置の効果を減殺する可能性があるのだ）、当面のロシア経済の運命を決める。

政府は数兆円相当規模（発表が相次いでおり、厳密な集計は不可能）の資金を貯蓄銀行（ズベルバンク）、対外経済銀行、そしてガスプロム銀行に融通し、中小の銀行にそれが回ることを期待している。
だが１０月末現在、これら３行はこの資金を自ら運用してしまい、中小の銀行に回そうとはしていない。貸せばそのまま焦げ付くことを恐れているのだ。

ルーブルが下がったため、外国からの直接投資にとっては現地コストは下落した。しかし部品・設備を移入してロシアで製品を組み立てるやり方は不利となる。
また消費者ローン供与が減少すること、輸入インフレで生活コストが上昇することから、消費は当面不活発に推移するだろう。

これからはロシアのオリガークの間で、資産の大幅なリシャッフルが行われる情勢にある。ロシアの企業からは資本参加、融資の要請が相次ぐだろうが、日本人がロシアでの荒っぽいビジネスに対応できるわけもないので、新規の直接投資を含めてしばらく様子を見ているのが適当である。

<strong>以下、今年の５月以降の経緯を詳しく記しておく</strong>（出所の殆どはロシア、第三国のマスコミ記事）。

<strong>「サブプライム問題が及ばないロシア経済」――７月までの錯覚</strong>○７月後半、モスクワ株式市場が急落するまでは、ロシアはあたかもサブプライム問題とは無関係であるかのような自己陶酔に耽っていた。
外銀でさえ５月には、「ロシア中銀はインフレ抑制のため利子率を上げようとしている」として、ルーブル購入を顧客に勧めていたのである。
○実際、イグナチェフ中銀総裁は、ルーブルを数ヶ月以内に切り上げる可能性を示唆していた。
６月にはロシアの製鉄最大手セヴェルスターリが、米国の鉄鋼メーカーEsmarkを12.5億ドルで買収し、2.5億ドル投資して北米一の圧延工場にするつもりであると言明した。

<strong>錯覚の蔭で実体経済の変調（６，７月）</strong>
○だが自己陶酔の蔭で、実体経済にはオランダ病（資源国特有の症状。自国通貨のレートが上がりすぎ、国内での生産活動の多くが競争力を失う）の症状進行が見て取れた。
　７月のGDP成長率（対前年同期比）は、予想の4.9％（年率換算）より低い3.2％のみに終わった。
　工業生産は、軽工業、素材、機械、建材を中心に不振である。輸入品に価格でも負けるようになったのだ。

○外国からの資金流入も減少気味となっていた。１～６月、外国からの直接投資は111億ドルで、昨年同期比30％減。間接投資を合わせると465億ドルで、昨年同期比23％減となっていたのである。

<strong>新規経済政策（６，７月）</strong>
６～７月にはいくつか新たな経済政策が開始された。ただ、これらが現在の困難な局面を経ても維持されるかどうかはわからない。

○一つは、中小企業振興政策。
企業設立許可取得に要する時期を短くしたり、申請窓口を統合したり、検査機関による衛生検査等の類を年70時間に限ったり、という政策が取られた。
ロシアでも中小企業は沢山あるが、サービス業が殆どで、もっと工業で中小企業が増えないと、経済に活力がつかないだろう。

○二つ目は、新規油田開発投資振興のための減税措置
７月、プーチン首相は石油・ガス各社長を集めた会議で次の言明を行った。
①石油生産低下を回復するため、減税する。
業界に毎年50～60億ドル残るようにする。
②本年、原油生産量低下しているが、年末までにカバーせよ。
　　　③油田・ガス田開発ライセンス受領後の土地取得等手続が、これまでのように何年もかからないようにする。地下資源管理庁がちゃんと監督すれば十分だ。
④原油輸出代金はルーブルで受けて欲しい。

<strong>ばらまき政策への傾斜（５，６月）</strong>
議会選挙、大統領選挙を前にした昨年は、多くの「ばらまき政策」が行われた。
それらは選挙目当てであると思われていたが、５月にメドベジェフ大統領が就任した後も、大統領から首相になったプーチンは多くの気前良い支出を発表し続けた。
メドベジェフ大統領がインフレ退治の重要性を強調し、予算教書で２０１１年までに６％にインフレ率を下げると言明しているにもかかわらず。

○５月にプーチン首相は、2010～2013年の運輸システム整備計画を承認した。
総額13兆ルーブル以上で、うち4.7兆（約２０兆円）を予算から支出する。
これにより1.7万kmの道路建設・改修。100の滑走路。海港能力を４億トン／年に。そして、3000kmの鉄道を新たに建設する。

○６月にプーチン首相は、国家予算で給料をもらっている要員（まあ、公務員）の給料を１２月から３０％上げる旨表明した。本年２月彼がある場で述べたところでは、ロシアの労働人口の３人に１人は国家予算から給料を得ているそうなので、大変な出費になる。
プーチン首相はインフレ退治の重要性を認めつつも、｢ロシアにはロシアの事情がある。何とかやり方があるはずだ。このくらいならインフレにはならないと中銀が言った｣と述べた由。

○来年は年金が37.1％引き上げられる。現在の年金平均額は4,188ルーブル（２万円弱）。

<strong>金融面での最初の変調（６月～）</strong>○ロシアの外貨準備には０７年末、約１０００億ドル相当のファニーメイ、フレディマック関係債券があったが、ステパーシン会計検査院長によれば０８年６月には300億ドル以下だった。うまく売り抜けたのか、損失を蒙ったのかはわからない。

○６月には、（サブプライムのあおりで）資金調達価格が上昇したために社債償還ができず、デフォルトになる二流企業が増えた。しかし、連鎖倒産はなかった。

○２００１年ロシアに債券市場が開設されて以来、期限不払いはなかったが、８月には１０件、９月には１７億ルーブル相当の２８件が不払いになった。

<strong>MECHEL社、グルジア戦争、欧米金融恐慌のトリプル・パンチ（７月下旬～）</strong>
○MECHELというのは、ロシアの原料炭大手。
７月の下旬プーチン首相は、同社の輸出価格が国内での販売価格よりはるかに低いことを問題視し、公開の場で批判を加えた。
折りしもBP-Shellのロシアでの活動をめぐって大きな係争が生じていた時だけに、この発言はロシア政府が私企業の活動に干渉する傾向を強めたものと解釈された。
短期外資が株式市場から引き上げ、株価は１日だけで5.6％下落したのである。

○これにグルジア戦争が追い討ちをかけ、短期外資はロシアから大量に引き上げた。
　９月初旬株価は、５月のピーク時の半分に落ちた（その後３０％以下になった）。
外資（その中には実は、海外に逃避しているロシア資本もある）はおそらく、欧米諸国がグルジア戦争への制裁措置としてロシアの在外資産を凍結し、ロシア政府がそれに対抗して国内の外資資産を凍結することを恐れたのだろう。
メドベジェフ大統領に近いと言われるユルゲンス現代開発研究所長は当時、グルジア戦争がロシアにもたらす最大のリスクは、西側資金、マネジャーの引き上げ、そして先端技術の禁輸だとした他、ロシアの在外資産が凍結される可能性にも言及し、西側との話し合いを呼びかけたのである。

○９月になると、「全ての銀行が流動性不足という問題を抱えている。株式を担保に低い金利で短期の資金を調達していたが、株価下落で資金調達が難しくなった。」という状況となった。
先進国のコール・手形市場のほとんどが無担保であるのに比べ、ロシアはレポ取引（株券を担保に資金調達）が中心なのである。
こうして、銀行間短期資本市場が目詰まりを起こした。

○これに加えて、西欧の資本市場での起債、ローンにあたって、高いロシア・プレミアムが課されるようになり、この方面からの資金入手がほぼ不可能になった。
　ロシアの企業、銀行は、年末までに４００億ドルの外債を返済しなければならないが、西欧資本市場での借り換えも、ロシア国内資本市場での借り入れも、双方とも道が閉ざされたのである。
　外債返済を控えるロシアの企業・銀行は、外国の資産を売却するか政府資金に頼るしか手がなくなった。

○つい最近までロシアの企業は投資の４分の３を自己留保でまかなってきたらしいが、近年銀行融資への依存度を高めていたようで、金融の目詰まりは実体経済を押し下げている。
まず、建設を中心とした基本投資額の伸び率が下がった。
消費も同じ理由で下がるだろう。１～８月、消費の伸び率のうち41％分は消費者ローンのおかげだったのだ。

○資本の純流出が増えたため（第３四半期、167億ドルの純流出。ただし第２四半期は407億ドルの純流入だった）、中銀が外貨準備を使ってルーブルを買い支えるも、ルーブルは７月の１ドル２３ルーブルから１０月２０日には２７．３５ルーブルに大幅に下落した。

○そして<strong>外貨準備額は８月ピークの５，７４０億ドルから、１０月２４日には４８４７億ドルに急低下</strong>した。
因みにクドリン財務相は７月末議会で、外貨資産の45％ずつをドル、ユーロで保有する方針は変えないと、言明している。
　「アメリカ一極支配の時代は終わった。ルーブルを国際通貨にするのだ」という首脳陣の勇ましい発言とは裏腹に、ドルへの執着は続いている。
　
<strong>政府による対策</strong>
○政府は８月上旬から、市場での流動性不足を補う措置を開始した。
第一弾は、「まだ支出していない予算を銀行に競売する」、つまり高い利子率をオファーする銀行に予算を最大３ヶ月預金することだった。
ロシアでは出回る国債の額が小さいために、西側でのように買いオペを金融手段として使うことができないようだ。
この予算の競売で、８月は１６６０億ルーブル、９月は７６３０億ルーブルが銀行に一時供給された。８月上旬の利子率は８．１７％。

（この「予算運用の競売」は、政府が求める利子率が高すぎるため、買い手がつかない場合も多い。１０月１日財務省は、3000億ルーブルの予算競売を「買い手がない」として中止している。財務省が求めた金利は１週間８％だった由）

○９月１６日、メドベジェフ大統領は大資本家達と会合を行った。
　この場で大資本家達には、「皆、それぞれの本分を尽くすように」との圧力がかけられ、その結果、彼らは自分の富の１０～３０％を吐き出して自社株を買い上げる例が相次いだ。
大資本家達（「オリガーク」）は、総計１８８４億ドルを吐き出したのである。

○<strong>９月１８日、政府はまとまった経済刺激策</strong>（下記①～⑤）を発表した。
これは、投資銀行のKIT Finance社が破綻して株式市場を２日間の閉鎖に追い込んだ直後のタイミングである。なおKIT社は、ガスプロム系のLider Asset Managementが買収した。

①柱は、5000億ルーブルの株価対策。
クドリン財務相は「第1段階として2500億ルーブルを市場に投入し（状況を見ながら）さらに2500億ルーブルを追加する。利益が出ると判断した場合は売却する」との考えを示した。
　　（しかし１０月１４日にこれが法案として議会を通過した時には、その姿は若干変わっていた。５０００億ルーブルのうち、２０００億が預金保険庁にいき、１７５０億が金融市場安定化のため、７５０億のみが株買い支えのため対外経済銀行に供与される由。なお同じ頃、議会下院の財務委員パーヴェル・メドベジェフは、「中央銀行はこの１年、金融危機の到来を予想して、商業銀行に融資するためのメカニズムを完成させている」旨述べた。）
②貯蓄銀行（ズベルバンク）、対外経済銀行、ガスプロム銀行の主要３銀行へのロシア中央銀行の貸出枠を１兆1260億ルーブルに引き上げる。
③商業銀行の預金準備率を４％下げ、それによって3000億ルーブル分の流動性を増加。
④10月１日に１トン485ドルとなる予定だった石油輸出税を同372ドルとする。
これにより、石油会社は55億ドルの負担減となる。
⑤住宅ローン貸付機関へ600億ルーブルを予算から割りあてる。

○９月２４日には、プーチン首相が会長を兼任する開発銀行（実質的には国営）が、資金難に陥っていたスヴャス銀行（資産額で２０位）の株９８％を買い取った。
企業再国有化だ、あるいはプーチン首相に近いレイマン元通信相系の銀行だから救済されるのだと非難する声も上がったが、政府はこれは郵便局系の銀行で年金送金のために重要だとして、買収を断行した。
リベラル系論者によれば、上記KIT社の場合も合わせてオフショア会社から株を買い取っており、買収資金は結局海外に流れる由。

○９月２９日、プーチン首相は「対外経済銀行は、商業銀行、企業に外債支払いのための500億ドルのローンを供与する。抵当不要。」と述べる。クレパチ経済発展省次官は、これは外貨準備から貸し出される由発言。
この発言にもかかわらず、モスクワの株価RTSは7.5％下がる。

○９月末、財務省が28の銀行へ600億ドルのローンを供与、との報道があった。
うち410億は貯蓄銀行（ズベルバンク）と対外経済銀行へ向けられた由。

○１０月１日、ウリュカエフ中銀第一副総裁は「流動性の問題は15ヶ月は続く」と述べ、次の措置を明らかにした。

①年末までには中銀が500億ドルを対外経済銀行に貸せるだろう。
②中銀が６ヶ月までの融資を商業銀に供与できるよう、法案を準備中。
財務省による、予算余剰分の一時的運用入札を補うもの。
③３つの国営銀行がインターバンク市場で損失を受けた場合、これを中銀が補償する法案を準備中。
④これらの措置により、インフレ率が１～２％上るだろう。

○１０月６日、大統領府と内閣共同で秘密の危機対策タスクフォースが作られる。
クドリン財務相、ナビウリナ経済産業相、大銀行頭取がメンバーの由。

○１０月７日、シュヴァーロフ第一副首相を頭に、「証券市場発展評議会」が発足。
他に中銀頭取、財務相、及び諜報機関のFSB長官がメンバー。
６月初め、閣議の場でプーチン首相に公に批判されて以来、その動静があまり報道されなかったシュヴァーロフ第一副首相がこの頃からまた前面に出てくる。
　プーチン首相は郊外ノヴォ・オガリョヴォにある公邸で勤務することが多くなったとの報道も見られる。

○１０月７日、中銀は50億ドルを売却してルーブル買い支え。
国民が、預金をルーブルからドルへ転換し始めたためだろう。

○１０月１９日、シュヴァーロフ第一副首相はテレビで、「国民の銀行預金は、法律では７０万ルーブルまでしか保証されないが、全額保証する。銀行には現金を供給してある」と言明。
　（注：ソ連、ロシアにおいては、国民の銀行預金が凍結され、その間に大きく切り下げられて価値を失ったことが何度も起きている。右発言は、国民の不安を鎮め、ドルへの換金を控えさせるためのもの）

○１０月２１日にドヴォルコーヴィチ大統領補佐官がロシア・テレビのインタビューを受け、新たな救済策を説明した。それは、
①軍需企業に政府発注代金を前払いする。
②機械部門に利子補給を行う。
③マンションの空室を政府が買い上げる（そのため２０１２年のウラジオストクでのA　PEC首脳会議、２０１４年ソチでの冬季オリンピックの準備予算から３２０億ルーブルを流用する）。
④農業への融資を強化する。

○１０月１７日クドリン財務相は、「国民福祉基金（２月設立時で２５０億ドル）のうち１７５０億ルーブル分を国内株・債券の買い上げに使う。次週から開始する」と言明。
買い付け銘柄は公表せず、長期保有するつもりの由。

政府による対策の効果
○８月以降、政府・中銀が様々な方法で流動性を供給しようとしたにもかかわらず、市場では金詰りが続いている。１０月中旬になってもプーチン首相は閣議で、「資金がリアル・セクターに届いていない」と言っている。
これは、政府・中銀から資金を受けた大銀行が、中小銀行に貸さないためである。
大銀行は、中小銀行に貸せば不良債権化するのを恐れ、受けた資金を外貨に投資するなどして自ら運用している。政府が、中小銀行の債務に保証をつけることが求められている。

○１０月９日、ロシア産業家企業家同盟のショーヒン議長は「政府指導部へのアピール」なる文書を発表し、危機対策が一部の企業に限られていて透明性を欠いていること、経済困難の時に増税が行われようとしていることを批判するとともに、近年急増した国営公社を民営化するためのタイムテーブルを明確化するよう求めた。
産業家企業家同盟は、メドベジェフ大統領に近いユルゲンス現代開発研究所長がこれまで事務局長として勤務していたところであり、この声明がメドベジェフの意を体していれば面白いところだが、他方、今回の救済措置にあずかれなかった企業家達の声を代弁しているだけの可能性もある。
右声明は非常に明確に政府を批判しているが、これはプーチン首相に向けられたものではなく、むしろクドリン財務相の追い落としを狙ったものであろう。

<strong>政策保守化・再国有化？</strong>
○プーチン大統領の２期目以後、経済政策にも保守化、ソ連回帰の傾向が見える。
これを西側ではプーチンの独裁傾向として批判するが、実はこの「保守バネ」はロシア社会に深く根ざすものである。
世論調査機関VTｓIOM（政府寄り）の１０月中旬調査によれば、国民の７９％は価格統制を、５８％は銀行国有化を支持している。何をか言わんやなのだ。

○９月上旬、プーチン首相は閣議の場で、経済発展省が作成した2020年に向けての発展計画案（非常に野心的なもの）を強く批判した。
「これでは成長率目標が低過ぎる。だが、インフレは１ケタにしろ。平均賃金は毎年10％以上伸ばせ。失業は今の6.3％から4.5％に減らせ」という、マクロ経済学的には実現不可能なことが、彼の口から発せられた。
ここには、指令すれば実現するという、ソ連時代のメンタリティーがうかがわれる。

○企業に対する中央集権的支配が復活しつつあるように見える。
プーチン首相の友人であるチェメゾフが会長を務める持ち株会社Russian Technology社が、そのような動きの核になっている。
メドベジェフ大統領は７月１５日、426の私企業に政府が有する資産をRussian Technology社に譲渡する措置に署名した。この中には、航空大手Air Union、チタン大手Avisma、自動車大手AutoVAZも含まれる。
また８月には、穀物輸出でも国策会社を作る方針が固められている。
ソ連の時代、企業の利益はほぼ全額、所属省庁に吸い上げられ、投資や赤字企業救済に回されていたが、これは各企業のやる気を萎えさせるものだった。また同じことを繰り返すつもりなのだろうか。

○大資本家にとっては政府・中銀しか資本の出し手がないという状況になっている。
　その中で、１９９６年の大統領選挙で資金に欠乏したエリツィンが、大資本家達に国営企業の株を渡す代わりに選挙資金を得たのと逆のことが起こりつつある。
つまり、大資本家は政府から資金を得る代わりに自分達の企業の株を渡しつつあるのだ。
　これが企業の再国有化につながるという非難が多いため、１０月にもシュヴァーロフ第一副首相は、「民間企業の株が抵当として政府の手に入ったとしても、市場が回復すればこの株は売却する。企業を国有化するつもりはない」と述べている。

○インフレ率が上昇するにつれ、政府による価格統制が目立ち始めている。
石炭企業は原料炭価格を来年１月まで凍結するよう命令されたようだし、化学肥料、航空燃料にも統制が及んだようだ。ロシアの航空燃料価格は西側の水準を上回るに至っているようで、８月にはその料金が払えずに欠航となる国内航空便が相次いだ。
その他にも多くの物資が長期契約制に移行し、その中で値上げのテンポが決められている。このため利益率が下がり、生産量を減らす企業も出てきた。

<strong>オリガークの勢力地図組み替え？</strong>
金づまりで資金が政府にしかない状況では、アルファ・グループのフリードマン会長など政府に近い大資本家（オリガーク）が有利な立場に立つだろう。
また、これまで借金経営をしてきた資本家と、自己留保を豊富に持つ資本家の間では差がつくかもしれない。
そして、プーチン首相に頼んで助けてもらえなかった企業家はメドベジェフ大統領のところへ、大統領府に頼んで相手にしてもらえなかった企業家は首相府へ、というような場面が増えると、大統領・首相間の齟齬が拡大するだろう。

<strong>市民の行動</strong>
○欧米の金融危機は８月末には明らかであったにもかかわらず、ロシア当局は「ロシアだけは安全の島」であるかのような発言を繰り返した。
彼らは危険を認識していたが、「危機」という言葉がロシア市民の間にパニックを引き起しかねないことを周知していたからである。
９０年代の大混乱のトラウマを残すロシア市民は、近年の経済繁栄を持続的なものとは考えておらず、「金があるうちに使ってしまえ」という気持ちで消費ブームを演出してきたのだ。
だがいくら国営テレビで「危機」報道を抑えても、民放は欧米テレビ局のニュース番組を２４時間、ロシア語吹き替えつきで流している（この点、ロシア人の方が日本人より国際情報通なのだ）。
９月末までにはロシア経済が直面する危険は市民の周知するところとなり、彼らはルーブル預金をドル預金に替えるべく、両替所に並ぶようになった。

○１０月中旬レヴァダ研究所の世論調査では、モスクワ市民の５７％はこの情勢は一時的なものととらえて落ち着いている由。今回の情勢について政府に大きな責任があるとする者は全国回答者の２３％で、政府は無関係とするのが１９％だったそうだ。ただモスクワでは３１％が政府は無関係と考えている由。
　つまり、預金凍結とかインフレとかが起こらなければ、危機は一般市民の目に見えるものにならないのだろう。

○１０月初めVCIOMの調査では、国民の５１％は最良の財産保全法は土地だと考えており、銀行に預金している者は全体の３２％のみ。しかも預金している者の４０．６％は、銀行を信用していない。

<strong>「米国崩壊」への喜びと世界体制改造欲求</strong>
○僕は１０月中旬、ロシアの団体が主宰するシンポジウムに出席したが、その場でロシア人識者が「アメリカ経済の崩壊」を喜んでいたことは異常なほどだった。
彼らは９０年代、自由・民主主義を奉じてアメリカに接近したにもかかわらず、NATOを拡大されるなどの仕打ちを受け、アメリカに対して恨み骨髄なのだ。
「アメリカ人は収入以上の生活をしようとして失敗した」とか、「アメリカ一極支配の終わり」とか、「ドルに代わる国際機軸通貨」だとか、勇ましい言葉が飛び交った。
だが彼らがこう言うそばで、ロシア市民はルーブルをドルに換金するために両替所で長蛇の列を作っていたのだ。

○そして「戦後の世界経済体制はアメリカ中心で不公平だから作り直せ。ロシアにしかるべき発言力を認めろ」ということは、１年前から大統領プーチンが言い出して、ロシア自身が金づまりになった現在、まだその言い分を繰り返している。
１０月９日、フランスのエヴィアンでのWorld Policy Conferenceによばれたメドベジェフ大統領は、「ロシアにもっと国際金融上の役割を与える」よう求めたが、その日ロシアの株式市場は２日間にわたって閉鎖されていたのである。
　またプーチン首相は１０月下旬に来訪した温家宝首相に、中ロ間の貿易をできるだけルーブル・元で決済するよう提案したが、温家宝側は沈黙していたようだ。

○国際基軸通貨というのは、皆が使う気にならなければ成立しない。
大幅に下落する可能性のあるルーブルを誰が受け取りたがるか、これから大幅に切りあがる可能性のある元で借金したがる者がどこにいるか、という問題なのだ。
それにルーブルをもらっても、それで買えるものはロシアの天然資源だけくらいのものだ。ドルやユーロだったら、ロシア以外の国からも何でも買える。
どうもロシアが言っていることは、ソ連時代の貿易体制に戻ろう、つまり二国間で貿易額をバランスさせることを基本としようということらしい。
貿易を二国間のバランス中心で運営したら、全体の額は限られたものとなる。貿易は多国間でバランスすればいいのであり、その方が全体の貿易額ははるかに大きなものとなる。
ロシアがルーブルでものを買いたがるのはわかるが、ゼロサムの経済体制を他国に押し付けないでもらいたい。

<strong>当面の見通し</strong>
○アメリカのロシア経済専門家Anders Aslundなどは、０９年のロシア経済はゼロ成長だとするが、多くの専門家は３～５％近辺の成長率を予想している。

○<strong>外貨準備</strong>
１０月末、ロシアの外貨準備はピークから８００億ドル程度減少し、５０００億ドルを割るに至った。それでも同２３日、ロシア中銀幹部はこう述べた。
「０８年末の外貨準備は年初より７０９億ドルは増えているだろう。ロシア原油の輸出価平均は１バレル１０１．５ドルだったから。
０９年の外貨準備は５８９～１２０６億ドル増加する見通しだったが、今回の事態を受け４０億ドル減少するとの見通しに修正した」
　
08年上半期、貿易黒字は前年同期比75％増で1048億ドルに達した。上半期の原油価格急上昇で輸出が前年同期の1554億ドルから2400億ドルに跳ね上がったことが原因。
０９年は、輸入の伸びが続いて貿易黒字額を大きく下げるだろう。
ルーブルのレートが下がれば輸入が減るだろうから、貿易収支が直ちに赤字になるかどうかはまだわからない。ただルーブル安だと輸入価格が急上昇して、生活費が上がる。ロシアは牛乳や牛肉でさえ、輸入に大きく依存していることを忘れてはならない。

○<strong>デフォルト（債務不支払い）？</strong>
まだ記憶に新しい９８年８月のも含め、ソ連崩壊後ロシアは何回か債務繰り延べ、そして不支払いを繰り返した。
また今回それが繰り返されるのかと言えば、今回は以前の１００倍もの外貨準備を抱えているので、せいぜいルーブル切り下げ、それに伴う国内のインフレ悪化くらいが当面予想されるところだ。
いくつかの報道を紹介する。まず<strong>当面必要な外貨支払いについて</strong>。

①ロシアは外貨準備とほぼ同じ規模の対外債務（Stratforは６月現在で５２７１億ドル、うち銀行分が２２８９億ドルとしている。他にガスプロムが５５０億、ロスネフチが２３０億、RusAlが１１２億、TNK-BPが７５億などだそうだ）を抱える。
②ロシアの銀行・企業は年末までに400億ドル、09年に800億ドルを外国に返済せねばならない（１０月１日　ウリュカエフ中銀第一副総裁）。
③ロシア人の個人預金は５兆ルーブル強あり（約１８５０億ドル）、ルーブルからドルへの転換が進められると、外貨準備も随分減るだろう。

これに対して、<strong>ロシアはどのくらいの外貨資産を持っているか？</strong>
①Stratforは、ロシアが使える資金として外貨準備、安定化基金、そして０７年には５００億ドルに上った財政黒字を上げているが、この３者の殆どは重なっているはずで、実質的には外貨準備額を目安としていればいいのだと思う。
②これに加えてロシアは３０００～７０００億ドルの在外資産を持っていると推定されている。①と②を合わせれば、返済能力は理論的には十分だろう。
　またルーブルが下がれば、それは外国資本にとっては対ロ投資の機会を意味しているのである。

○<strong>予算</strong>
０８年度予算は、石油輸出税下げで1360億、株式市場救済で2500億ルーブルの臨時歳出を行うが、２０１２年ウラジオストックでのAPEC首脳会議、２０１４年ソチでの冬季オリンピックの準備予算などを削って、年間６％の黒字を実現できるだろう。
しかし予算残留分のうち、1.5兆ルーブルまでを銀行に使わせるのは響くかもしれない。これは融資なのだが、期限に返されないかもしれないからだ。

９月、クドリン財務相は来年度の予算を上程した。
彼によれば、原油価格は１バレル78ドルで計算してあり（他方８月に採択された向こう３ヵ年の財政見通しでは、０９年原油価格を95ドル、10年に90ドル、11年に88ドルと予測していたとの報道がある）、これが７０ドル以下になると財政赤字になるという。１１月初旬既に６０ドル周辺だから、１９８５年に同じく原油価格が暴落してソ連に財政赤字をもたらしたのと同じようなことになるかもしれない（１９８５年の場合は、これがゴルバチョフによるペレストロイカ政策につながり、その失敗からソ連が崩壊するのである）。
但し、おそらくルーブルのレートがかなり下がってロシア国内はインフレ傾向になるだろうから、案外政府歳入は増加するかもしれない。

○<strong>インフレ</strong>
６月までは年率換算１５．１％増の勢いを見せていた消費者物価も、１０月初めまでの総計では１０．８％の水準に落ち着くに至っている。
昨年秋から急騰を見せた世界食料品価格が下落したことが一要因だろう。
しかし、所得の伸びが鈍る中で、インフレ率が所得の伸びに追いつきつつある。

<strong>２０２０年見通し</strong>
○６月初旬、サンクト・ペテルブルクでの国際会議でゴールドマン・サックスは、ロシア経済が2010～15年には3.3％、2015～20年には2.9％の成長率に下がるが、それでも２０２０年のGDPは３兆ドルを超え（現在１兆ドル強）、世界８位になるとの見通しを発表した。

○１０月１日、プーチン大統領の肝いりで経済発展省が着手していた「２０２０年に向けての長期発展計画」が、閣議で採択された。
これは、２月にマスコミにリークされたところでは、①２０１５～２０２０年にＧＤＰで世界５位以内、②一人当たりＧＤＰを２０２０年には３万ドル、２０３０年には５万ドル（０６年には１３，７００ドルだった）、③住宅面積一人当たり、平均３０～３５平米、④中産階級は２０２０年までに人口の５０％以上、⑤原材料輸出国から民需用の先端技術への依存に移行、⑥労働生産性は２０２０年までに１４０～１６０％向上（１０月１日の閣議でプーチン首相はこれを３～４倍にせよ、と言っている）、等々という大変けっこうなものである。

○原油価格暴落が長期化しなければ、２０２０年ロシアの名目GDPはドル・ベースで世界の５位程度にはつけているはずである。
ただその多くはルーブルの対ドル・レートの上昇と、国内のインフレによって達成されることになろう。現在モスクワではホテル一泊６００ドルは普通だが、２０２０年には１５００ドル以上になっている可能性がある。つまり世界５位でも、経済力の「真水」部分はそれほどでもなかろう。

<strong>グルジア戦争の影響</strong>
○グルジア戦争にもかかわらず、米国・EUはロシアにさしたる経済制裁を課さず、「エンゲージメント」の政策を続けている。
１０月末、ラヴロフ外相とEU議長国フランスのクシュネル外相はサンクト・ペテルブルクで会談し、EU・ロシア協力協定改訂交渉については、１１月１３日ニースでEU・ロシア首脳会談を行ってタイムテーブルを設定することで同意した。
この協力協定交渉は、グルジア戦争に対する制裁としてEU側が凍結していたものだ。
議長国フランスによる越権行為だとして、EU内で異論が巻き起こる可能性がある。
なお、グルジアでの緊張は来年春には再燃する可能性が指摘されている。

○<strong>１１月１５日ワシントンで国際金融問題についての緊急首脳会談</strong>が行われるが、メドベジェフ大統領かプーチン首相のどちらかは出席するのだろう。
これまでは、アメリカとロシアの間にはさしたる経済関係もなく、そのことが両国関係が一度悪化すると歯止めがききにくい状況を作っていた。
だが、これからは一味違ってくるかもしれない。財政赤字が一層拡大するアメリカは、ロシアが豊富に保有するドルで米国債を買い続けてもらいたいだろうし、ロシアはアメリカに世界の景気と原油価格を何とか維持してもらいたいのだ。　　　　　　（了）



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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Mon, 03 Nov 2008 15:06:03 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>この頃のロシア人の心象風景―ー「世界は多極化する」</title>
         <description><![CDATA[<strong>ヴェニスでのシンポジウムから</strong>
Copyright ©０８．１０　河東哲夫

１０月１２，１３日と、ヴェニスで開かれたロシア主宰のシンポジウムによばれた。ロシア、欧州、アメリカなどから４０～５０人が参加する大型シンポだったのだが、中世ヴェネツィア政府の建物の一室に押し込められて二日間、本当に「エコノミークラス症候群」にかかるところだった。

（外見は壮麗でも、内部はエコノミークラスのヴェネツィア市庁舎＝サンマルコ広場時計塔から）
<a href="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0391.JPG"><img alt="RIMG0391.JPG" src="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0391-thumb.JPG" width="204" height="153" /></a>

主宰したのはInternational Institute of Global Developmentという、ロシアの研究所。
これはアレクサンドル・レベジェフという、元KGB（本人もその経歴を隠さない）転じて銀行家が樹立した研究所。
彼は今度、ゴルバチョフと共同して「独立民主党」というリベラル政党を立ち上げた。「右派勢力同盟」というリベラルの老舗の政党が最近雲散霧消してしまったので、ヤブロコと並んで数少ないリベラルの灯をともし続けることになっている。

もっともシンポ自体は、「独立民主党」とは関係のないものだった。テーマは、「一極支配の世界のあと：その様相はどのようなものになるか」というもの。

このシンポ、半年以上前から準備していたのだろうから、８月の金融危機は想定していなかったろう。
ロシアに対するアメリカの圧力を少しでも減ずるために、あえて「一極支配のあと」をテーマに企画したのだと思う。

ところが欧米の金融危機で、アメリカが本当にメルト・ダウンしてしまったかのように見える。
思いがけない展開に、このシンポの企画者も先見の明を誇っていいのだろうが、アメリカを核とした世界体制に代わるものは結局、提案できずに終わった。

それでもロシア人は、「アメリカを見ろ。分不相応に世界を支配しようなどとするから、崩壊したのだ。ソ連と同じだ。世界は根本的に変わった」と言って有卦に入っていた。
いい気なものだ。自分自身の足元も、氷がとけた白熊のように株式市場崩壊、クレジット・クランチ、そして油価低落に悩まされているのに（それでも外貨準備が５千億ドルもあるので、９８年８月のような経済崩壊は起きていない）。

<strong>もっとも日本人はアメリカと一緒にやっていくのが楽なものだから、今回の金融破綻でも世界の構造が変わったとまでは思っていないが、世界の構造が変わるのを望む者達は既に大きな将来の絵を描き始めている。
そしてそういう大きな枠組みの話では、図体が大きくアメリカからの独自性が高い国しか座に呼ばれない傾向がある。日本の意見には、そういう場面では誰も関心を持たない。
実際には、欧米の金融破綻の後、日本経済が果たしえる役割には非常に重要なものがあるのだが。</strong>

会議での議論はけっこう淡々と進んだ。
ただ、ユダヤ系ウクライナ出身のアメリカ人専門家（この呼び方自体、随分複雑だ）が、アメリカを核とする世界連邦を遠い将来作る見通しについて報告した時、ゴルバチョフが１０分間くらい感情的にかみついた。
彼はソ連の末期、IMFなどから借金する交渉を自らやり、（自分が交渉すればIMFなどいちころだと思っていたのだろうが）、いろいろ屈辱的な条件を（格下と見ていた）IMFの官僚達に課されたことを感情的に言い立てていた。

ソ連が崩壊してからの１５年以上、NATOの拡大などロシアはアメリカに一方的に押しまくられており、その屈辱感は深い深い傷となって彼らの心に沈殿している。
その傷に塩を塗りこむようなことをするから、このアメリカ人は聴衆の面前でロシア人達から（言葉での）袋叩きに会った。KOならぬKYの一場でありました。
もっとも、ロシア人の中にも、「NATO拡大に対するロシアの反発はやりすぎだ」という者もいたが。

で、このアメリカ人、その後の昼食の席で皆に慰められ、また自分でもなにくそと思ったのだろう、午後になると自ら追加説明に立ち、反論していたから見事なものだ。拍手。

そうそう、ゴルバチョフがこの会議には出席していて、僕にも握手してくれたのだ。
午後のセッションに彼は遅れてやってくると、「自分は遅れたのだから」と言って一般聴衆の席に座る。
あのペレストロイカの熱で浮かれる１９８８年頃だったか、彼は人民代議員会議か最高会議か忘れたが、共産党幹部とともに会場に入ってくるや壇上ではなく、一般会衆の席に腰掛け、それをテレビで全国放映させて、民主化を印象づけたのだ。

僕が「あの頃のことを思い起こします」と彼に言うと、ゴルバチョフは冗談半分、「<strong>で、それで何か変わったと思うかね、うっ？　なーーんにも変わらなかった。なーーんにも</strong>」と言った。
ごもっとも。社会の惰性というのは、強いですからね。ご苦労様でした。
でも、歴史と直接対話できてよかった。

ま、前置きはこれだけにして、会議の有り様を分類してお話したい。少し長くなりますが。

<strong>アメリカ中心の世界体制に代わるもの</strong>

僕自身は、アメリカを核とする戦後の政治・経済世界体制が崩れたとは思っていない。
ロシア人も本当には崩れたと思っていないらしく、いろいろ提案はするのだが、それについての議論は一向に発展しなかった。言いっぱなし。

ゴルバチョフは、<strong>ヨーロッパだけのための安保理のようなものを作</strong>ることを提案した。
全世界をカバーする国連はもはや機能しなくなったと思っているのだろうし（別のロシア側参加者は明確に、国連を解体するべきと述べた）、明確には言わなかったが、アメリカを欧州から排除したいのだろう。

国連の各地域版みたいなものを作って、それぞれに地域の主要国が安全保障理事会を作るというのは、一案だが、やはりアメリカのように絶対の存在がないと、ただのおしゃべりクラブに堕してしまう可能性が大きいだろう。

１９４９年に外交官になり、外相まで務めたというインドのRasgotra氏は、「新バンドン会議」を提唱したが、これも同じ地域思考だ。同じくフォローがなかったが。

<strong>ロシアにも常識・良識はある</strong>
外交政策の策定を直接担当しているロシア人が来ていて、これが穏健で現実的でごく自然に腰が低い人だった。
ヴェニスの島に行く船の中などで随分話をする機会があったので、僕の方からあえて聞いて見た。

「この頃のロシアの青年などを見ていると、西側の青年とまったく同じでリベラルで民主的だ。
ロシアとNATOがいつまでも角突き合わせている理由はないので、ロシアもNATOに入って見たらどんなものか」と。

そのような考え、動きはエリツィンも、プーチンも示したことが以前あったが、結局、欧米に警戒されて実現しなかった。それもそのはず、もともとNATOというのはソ連の軍事的脅威から欧州を守るために作られた（そしてドイツ軍国主義の復活を防ぐため）ものなのだから、これにロシアを入れるためには、その存在目的を大きく設定し直さないといけないからだ。

だから、件のロシア人はやや悲しげに微笑むと、「NATO加盟は無理でしょう。徐々に関係を深めていくしかないでしょう」と言った。これが、現実的で誠実な外交官の典型的な考え方だ。

<strong>「世界連邦」について</strong>
既に書いたように、あるアメリカ人が「世界連邦」を提唱して（もっとも、「いつになったら実現するかはわかりませんが」と自ら言っていたのだが）、ロシア側から袋叩きにあったことは既に書いた。
このアメリカ人がユダヤ系であったことも、ロシア人の反感を高めたのかもしれない。

ユダヤ人と言えば「コスモポリタン」（国際的という意味だが、根無し草という隠れたニュアンスがある）と欧米では悪口を言われているので、アメリカの威を借りて世界連邦を標榜し、ロシアを押さえにかかっていると誤解されたのだろう。

このアメリカ人が言ったのは、「何十年先のことか、あるいは全く実現しないかもしれませんが、将来は世界連邦のようなものができるかもしれません。
その場合、その核となるのはまずアメリカ、もう少し広げるとNATO、もっと広げるとOECD諸国で、これら諸国だけで世界のGDPの７５％を生産しています。
それよりもっと広げるといわゆる「北」の諸国で（注：工業化を達成した諸国のことで、南北問題における「北」と同じ意味だ）、これにはロシアも入ります。世界GDPの８０％を占めることになります」ということ。

ここでゴルバチョフが猛然とかみついたのだ。
「その考え方には欠点がある。単なる算数だ。
アメリカ・モデルは駄目になったのだよ、君。
利潤を求めすぎ、消費し過ぎる。社長が数十億円稼いでいる時にアフリカでは・・・」云々。

日本に帰ってから、このアメリカ人、Ira Strausに論文を送ってもらったが、フランスのバラデュール元首相などと一緒に、NATOを自由諸国同盟（日本も当然入る）に拡大する構想も提唱している人物だった。
自由諸国の同盟としてのNATOというのは日本にとっても興味あるアイデアだが、ロシア、中国も何かの資格でEngageするものでないと、日本にとってはリスクが大きすぎるものになる。

<strong>「大国の責務」についての致命的な認識のすれ違い</strong>
アメリカに対するロシア人の想いは愛憎入り乱れて、妄執に近いものになっている。
思えば世界の中でアメリカから経済的・政治的恩恵を得ていない国は数少ないが、ロシアはその中で最たるものだ。だから、アメリカから圧力を食らうと、反発しかしない。

戦後６０余年にわたってほぼグローバルな自由貿易体制が維持され、日本、東アジア全域、欧州はそれから利益を得てきた。アメリカに命令されるだけなら、誰もこの体制に従おうとはしないだろう（僕は、そのことを発言した。特に反発もなかった）。

ロシアにはこのことが見えないから（彼らは、「大国」であることは自分の利益を他国に押し付けることができる権利を持つことだと思い込んでいて、大国の責務を無視している）、アメリカの圧力に反抗すれば世界中がロシアを支持してくれて当然だと思っているのだろうか？　逆に孤立化するだけなのに。

そして<strong>政治のことを議論するロシア人は、経済のことが悲しいほど見えない。
だから、「アメリカ崩壊後の世界」をどうするかについても、どの国がどの国と結んでどの国に対抗するかというような、それこそ算数の話が中心になる。
考え方がゼロサムだ。産業革命後の社会は新しい富をほぼ無限に作り出せるプラス・サムの社会になっているのに。</strong>

（注：そして白人至上主義からも抜け出せないでいる。
プーチン首相自身、これからはBRICｓの時代だ、インド、中国と組めばアメリカに対抗できる、と言うことがあるのに、「ロシアをBRICｓと一緒くたにしないでくれ」と言うロシア人がこの会議ではいた。
あくまでヨーロッパの国でいたいのだろう。今の石油依存経済を続ければ、BRICｓの中に残っていることさえ、３０年先には覚束ないというのに）

国家論で名高いアメリカのIkenberry教授は言った。
「戦後の世界体制は帝国ではなかった。この体制に加わるのは容易で、覆すことは難しかった」と。

その通りだ。アメリカも一枚岩ではないし、国益、民主主義のためと称して私利を追求する悪者もいるけれど、総じて言えば世界の幹事役、司会役として一番ましな存在だったのではないか？

<strong>それでもロシア人はアメリカに本当はあこがれる</strong>
ロシア人も本音は、アメリカと仲良くやっていきたいところがある。
「最近アメリカが北朝鮮に核開発の問題で譲ったように、ロシアにも柔軟に対処してくれれば、話し合う気持ちはあるのだが」とか、

「ロシア人インテリにとっては、『反米』というのは自分を守る一種の仮面みたいなものなんだ（つまり、リベラルも反米を叫んでいないと通らない）」とか、

「でもアメリカのポピュリズムが怖いのだ。ロシアに対して独断と偏見でこりかたまっている」とかいう発言が、その表れだと思う。

アメリカの大統領選挙でロシアはたいしたイシューになっていないのだが、ロシアのマスコミがあおっているのだろう、アメリカは反露で凝り固まっている、とロシア人は思い込まされている。

<strong>アメリカの「覇権」は終わったのか？</strong>
これについては、アメリカのIkenberry教授の言葉が全てを語る。
「世界におけるアメリカの『覇権』が終わったのかどうかについては、中国の動向が軸になる。
しかし古来、戦争なしに『覇権』国が代わったためしはない。
そしてまた現在、アメリカを核とするシステムに代わるものを作るメカニズムがない」

そして誰だったか忘れたが（多分、ロシア人）、面白いことを言っていた。ロシアを自ら将来の極の一つと考えていない点が面白かったのだ。日本のことには、言及もしなかったが。

「これからの世界は何層かに分かれていくだろう。第一層には三極としてEU、アメリカ、そして中国があり、第二層には第一層のいずれかの極と同盟することによって全体のバランスを変えることのできる国々、即ちウクライナ、グルジア、カザフスタンそしてロシアがある」

<strong>グルジア紛争について</strong>
グルジア紛争で、ロシアと西側が熱した議論を展開することはなかった。
南オセチアとアプハジアにロシア軍が駐留してStatus quoを維持している現状が、大体の落とし所と見なされているのだろう。
北キプロスにトルコ軍が長年駐留して、トルコしか北キプロスの独立を認めていない、キプロスの状況にグルジアは似てきた。
グルジアのサカシヴィリ大統領はまた軍事的報復を策している、とラブロフ外相が警告を最近発しているが。

ヴェニスの会議で、あるロシア人インサイダーが面白いことを言っていた。
「第一次大戦がセルビアの跳ね上がりから起きたように、大国が小国によって振り回され、戦争に引きずり込まれる時がある。
今回グルジアの場合もそうだった。ロシアは南オセチア、アプハジアに振り回され、アメリカはグルジアに利用された。
ロシア軍が、功を焦った面もあった（注：将軍の大量解雇等、ロシア軍の本格的リストラ計画が１０月に発表されている。軍部はグルジア紛争で功を上げることで、この計画を防ぎたかった、という意味だろう）。
しかし今回はロシアも、EUも、アメリカも予測可能に振舞った」

<strong>"Modernity"について</strong>
論壇とか国際シンポジウムの世界にも流行がある。「文明の衝突」とか「歴史の終わり」とか、リベラリズムとか市民社会とか、日本ではあまり盛り上がらない諸概念が盛んに論じられる。こうしておかないと、論壇も産業として成り立たない。

で、以前は「市民社会」というテーマが世界中のシンポジウムをにぎわせていた。
ところがアメリカのイラク進攻の時からだろう、どうも市民社会とかリベラリズムという言葉が使われなくなってきたのだ。

よく知らないのだが、EUのあたりでModernityという概念が言われるようになり、それをロシアのリベラル・インテリ達が議論するようになっている。

８０年代後半に成人したロシア人インテリにはリベラルな者が多いのだが、彼らは９０年代ロシアの改革失敗で、リベラリズムとか民主主義とか市民社会とかいう言葉をもう使えなくなっている。
ロシアの国民が、こうした西側の考え方こそ９０年代の大混乱をもたらした元凶だと思い込んでいるからだ。

そしてロシア人自ら言うように、「西欧の人間の遺伝子には、『ロシア嫌い』が染み付いている」という状況だから、リベラルなロシア人は世界に居場所がない。
（注：西欧とロシアの間は、なぜ嫌われるのか互いにわからないでいるという点で、日中関係に似たところがある）

だから、リベラル政党を標榜するレベジェフの「独立民主党」にとって、Modernityという概念は拠り所として重要なものなのだろう。

<strong>日本の消滅</strong>
失われた１０年で足の引っ張り合い、善玉、悪玉のレッテル貼り、そしてこの２年で三回も総理が代わるうち、日本は世界のレーダー・スクリーンから消失した、と言われている。

低金利政策で輸出を増やしそれで経済を支えてきたため、円のレートは実力以上に落ち、日本の力もすっかり過小評価されるようになった、と言うか、もう「およびでない」（irrelevant）国になっている。

ヴェニスの会議でもインドは３人も元外交官を送り込んでいた。中国は誰も来なかったから、僕が中国のことを説明したりしたが、日本のことを聞く者は誰もいなかった。
まあ、どうせアメリカの忠実なポチだ、聞いてもしょうがない、くらいにしか思っていないのだろう。
だから僕も随分手を上げてしゃべったけれど、日本といえば皆ちやほやしてくれた２０年ほど前とは完全に様変わりで、今ちやほやされるのは中国だ。
この頃、この手の国際会議に出る日本の識者は、皆こうした状況と戦っているのだと思う。

<strong>上げ潮のインド</strong>
インドも大きくて独自の立場を持っているから、最近は上げ潮だ。
僕は、BRICｓ諸国の経済成長は少なくとも当初は、先進国の経済成長の枠内でしか実現しないと思っているが、彼らはそう思っていない。もうアメリカに取って代わる気になっている。

そして、彼らの中国に対する対抗心はすごい。上海協力機構にしても、インドの加盟は中国を助けることにしかならないから加盟しない、と言う者がいる。

そしてインドは、話がグローバリズムとか貿易の自由化に及ぶと、「伝統」とか「異なる価値観への寛容」とかを持ち出して抵抗することがある。あれだけ自分を西欧文明の一員として位置づけたがるのに、面白いことだ。

ところで外相まで勤めたベテランのRasgotra氏が洒脱なことを僕に言った。
「これまで会って見て、これはと感服した外国の指導者はいましたか？」と僕。
「いんや。感服した指導者はいない。皆、視野が狭く、自分の国はすごいとしか言わなかった」
「周恩来に会いましたか？」と僕。
「彼は巧みな外交官だったが、彼の言ったことは全部実際とは異なった」　　　　　　　　　　　　　　　　（了）






















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         <category>世界はこう変わる</category>
         <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 16:43:28 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>ヴェニス紀行</title>
         <description><![CDATA[１０月の中頃、４日ほどヴェニスに行ってきたので、徒然の随想を。ちょっと長めになりますが。
Copyright ©０８．１０　河東哲夫

今回は、ロシアのある研究所がヴェニスでシンポジウムをやるというので、招ばれていった。イタリアへは行ったことがあるけれど、なぜかヴェニスだけは行きそびれていたので嬉しかった。シンポのことについてはまた別途書くことにして、ここでは旅の随想だけ。

<strong>ヴェニスまでの旅路</strong>
ローマには友人がいるので残念だったけれど、今回はフランクフルト経由でヴェニスに直行するルフトハンザ。
金融危機の真っ只中だったのに、飛行機はビジネスもエコノミーも満席だった。そしてビジネスクラスはなぜかドイツ人の方が多かった。一昔前なら、ビジネスをやたら使うのは日本人だったのに。

ルフトハンザはいかにもドイツの飛行機らしく、２分も遅れずに離陸した。もちろん日本の飛行機も時間にうるさいし、ロシアのアエロフロートもこの数年は時間をきっちり守っているが。

で、フランクフルト空港に着くと、ターミナルで最初に聞こえたアナウンスが中国語だったのだ。
ブルータス、お前もか、という心境。かつてここは僕にとっては、上品で小奇麗なヨーロッパの象徴みたいに見えたものだが、もうヨーロッパもグローバリゼーションの波の中であっぷあっぷだ。

そしてヴェニス行きのルフトハンザは何故か遅れたのだ。
離陸直前、東洋人の一行がどやどやと乗り込んできて席を争い、上品な身なりの女の子がいらだった口調で既に着席している白人に、「あなたの席、本当にここなの？」と聞いている。
彼らは、自分達の間では中国語で話していた。
このルフトハンザは大変な「雑種」で、スカンジナビア航空、ポーランド航空、カナダ航空、そしてユナイテッドとの共同運航便なのだ。さすが国際観光都市、ヴェニス。

ハンニバルも越えたアルプスは、東山魁夷の絵のように靄に包まれていた。
<a href="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0347.JPG"><img alt="RIMG0347.JPG" src="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0347-thumb.JPG" width="204" height="153" /></a>

<strong>イタリアの印象</strong>
アルプスを越えると、畑の輪郭が不定形になる。
ドイツやフランスの畑というのは飛行機から見ても、みごとに整地してあり、しかも境界が明確だ（ロシア、ポーランドとなると、境界がぼやけて見えるのです）。
それに比べると、ここはまるで東南アジアのどこかに来たかのよう。ローマ貴族の大農園の時代から、こうだったのか？

降り立って陸地を行くと、ローマ文明の匂いがしてくる。道端のみすぼらしい小屋でも、どこか趣があるのだ。歴史。長い歴史。人の心を和ませる柔らかいトーンの緑。北ヨーロッパのように気張っていない。どこか懐かしい感じがする。

だが次の朝、ホテルのシャトル・バス（ヴェニスの島からは遠く離れたホテルに泊められたので）に乗ってみると、運転手がハンドルの上に広げて見ていたのは、金融危機についてのG7財務相会合の結果とポールソン財務長官の声明だった。人は歴史だけじゃ、食っていかれない。

<strong>ヴェニス、ヴェニス</strong>
ヴェニスというのは、５世紀にフンやゲルマン人を避けて海中の州に本土の民が避難したところから始まったらしい。で、どのくらい陸から離れているかというと、これが半端ではないので、目分量では１，５～２ｋｍくらいか。本当の島国というか、島都市国家というか、小型の日本、大型の江ノ島（ヴェニスは岩山ではありませんが）のようなものなのだ。

いったい、どうやって飲料水を確保したのか、わからない。雨水を溜める井戸を作るまでは、海水を蒸留したのだろうか？

ヴェニスはインスピレーションを誘う街で、MJQの"No Sun in Venice"、ターナーの絵（夏目漱石の「坊ちゃん」にも出てくる）、トーマス・マンの「ベニスに死す」、そしておお、００７シリーズには少なくとも二回は登場するのだが、まあ素晴らしい面と散文的な面と両方がもちろんある。

（昔の００７は良かった。ユーモアとセンスがあって。サンマルコ広場の悪役「ジョーズ」）
<a href="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0409.JPG"><img alt="RIMG0409.JPG" src="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0409-thumb.JPG" width="204" height="153" /></a>

ホテルのシャトル・バスを降りたはいいものの、どこへどう行っていいのかわからない。でも見回すとアカデミア橋とか、目指す場所への標識がそこらじゅうにあるので、いい加減に歩き出す。

小路をたどると、暗いアーチの向こうが明るくなっていて、壁に光がゆらめいている。クリークがあるのだ。
そしてアーチの向こうを黒光りするゴンドラが、観光客を（大体中国人のグループが多いのですが）乗せてゆらゆらと通っていく。

そしてアカデミア橋http://www.civilnet.or.jp/gallery/ebridge/Venezia/03DELL%20ACCADEMIA.htmからは、音に聞くThe Grand Canalの景色が目の前に広がる。これは、やはり感激します。

<a href="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0369.JPG"><img alt="RIMG0369.JPG" src="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0369-thumb.JPG" width="204" height="153" /></a>

で、この橋の袂から（ゴンドラは高いので）水上バスのようなVaporettoに乗る。小さな汽船が桟橋にドカンと横腹をぶつけて停船するのだ。舷側には緩衝材のタイヤもついてない。乳母車を押した母親が細い板を渡って乗船したとたん、その安全もろくに確かめずそそくさとVaporettoは離岸した。

船は大運河を通って、音に聞くサンマルコ広場へ向かう。この海からヴェニスを見た景色こそが、ヴェニスの本質なのだそうで。

翌朝まだ朝ぼらけの景色を撮る機会があったので、こういう感じだ。中世の船乗りはいろんな想いを抱いて、ヴェニスにやってきたことだろう。まったく、この小さな島がヨーロッパのどの王家もかなわない現金収入を稼いでいたのだ。
<a href="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0454.JPG"><img alt="RIMG0454.JPG" src="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0454-thumb.JPG" width="204" height="153" /></a>

因みに空間を飛び越えると、上海から車でわずか３０分のところにも、ヴェニスに良く似た水郷地帯があって、ここも古くから商業のハブだった。素晴らしいところだ。<a href="http://doraku.asahi.com/earth/travel/theme/070109.html">http://doraku.asahi.com/earth/travel/theme/070109.html</a>

<strong>サンマルコ広場で</strong>
サンマルコ広場へは、高速ゴンドラとの戦いを終えた００７ことロジャー・ムーアが、ホバークラフト式ゴンドラで「上陸」するのだ。路上カフェで客にワインを注いでいたボーイは仰天し、ワインを客の頭に注いでしまう。

で、そのカフェが空いていたので、僕は秋の快晴日和の下、サンマルコ広場に陣取って、塩野七生の「海の都の物語」を読みふける。至福の時だ。

ただ、コカ・コーラは一杯９．８ユーロ、１３００円。「高いねえ」と言うとボーイは、「場所がいいですから」。ごもっとも。
ただ、１０ユーロと言っても、実感は７００円くらい。円が低金利政策のため、これまで過小評価されすぎてきたのだ。

誰かがスズメにパンくずを投げる。やけに太っているスズメだ。すると鳩が寄ってきてパンくずを食べ始めるのだが、大きすぎてこぼしてしまう。それをスズメが取ろうとすると、今度は鳩がもう一羽寄ってきて、鳩同士のにらみ合い。スズメは素早くパンくずをくわえると、まっしぐらに飛び立った。

アメリカと中国の間にはさまれた日本国も、このスズメにあやかりたいもの・・・と思った。

戸外に出された安ピアノ・・・こうした場にふさわしい、つぶれた音だ・・・が鳴り、オーソレミオを歌いだす。陽光。目の前の観光客の群れ。Cunard汽船会社のQueen Victoriaの真っ白い巨体が、目の前を悠然と通り過ぎる。上部だけで６階建てで、デッキには乗客が鈴なりになってこちらを見入る。他にも、３万トンくらいの客船が２隻も、前から停泊しているのだ。

<strong>サンマルコ寺院が示す、ローマ、ビザンチン、ヨーロッパ文明の継続性</strong>
よく絵葉書に出てくる、ヴェニス総督庁の建物もすごいけれど（この中には予審監獄もある。随分独房の数が多い）、その隣のサンマルコ寺院こそは、僕が度肝を抜かれた珠玉の建築。
西暦１０００年頃に完成し、以後５００年ほどにわたって磨き上げられてきた芸術品だ。

<a href="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0393.JPG"><img alt="RIMG0393.JPG" src="http://www.akiokawato.com/ja/images/RIMG0393-thumb.JPG" width="204" height="153" /></a>

ヴェニスは政治的にはローマ法王の勢力圏にあったのだが、経済的にはコンスタンチノープルの東ローマ帝国、即ちビザンチン帝国の方に近かった。だからサンマルコ寺院はビザンチン文明を強く反映していて、トルコによる征服以後はモスクにされてしまったイスタンブールのセント・ソフィア大寺院がキリスト教の時代にはどのような結構だったのか、ということを示してくれている。

優雅、豪華絢爛・・・これがビザンチン文化なのだ。玄関正面上の絵は、油絵などではなく、小さい色タイルをはめたモザイクだ。これはカトリックではなく、ビザンチンのギリシャ正教の特徴だ。色タイルの文化は中央アジアから中近東にかけても、広がっている。

中に入ると、壁は全体に渋い金色で塗ってある中、モザイク絵がちりばめられている。
そして細工や仕上げの念入りなこと。成金の金ピカ趣味とは違う。

サンマルコ寺院の向かい側には、７０メートルくらいの時計塔があって、今でも時を告げる。
これに上ったが（エレベーターで）、入り口の行列にはロシアの青年が多かった。
そして彼らは規則を守り、行列に横入りしようとはもはやしない！　数年前に比べて、マナーが格段に良くなった。
受付にはAudioguideの看板があって、伊英仏独西しか言語がないが、その表示の上に黒いマジックでRussianとあった。つまり、ロシア人はヨーロッパではもう上得意なのだ。

<strong>ヴェニスを見、その歴史をたどると、ゲルマン人に破壊されたというローマの文明は、実は東ローマ帝国からイタリアの都市国家を経て断続なしに連綿として存続し、次第に北ヨーロッパに波及していったのだということが体感される。</strong>

僕はヨーロッパの源流がギリシャ・ローマ文明だというのはうそで、未開のゲルマン民族がルネッサンスなどで人為的に作り上げたフィクションだと思っていたが、どうもヨーロッパはやはりギリシャ・ローマの嫡子であり、それは人為的に作り上げられた神話ではないのだ。

ヴェニスは、全ヨーロッパに影響を与えている。例えば水の都のストックホルムも港の風景はヴェニスにそっくりだし、市庁舎はヴェニスの建築様式なのだ。

<strong>海洋国家ヴェニスはどうやって滅びたか？
・・・オーストリアとナポレオンに二股かけて、結局は分割されたヴェニスの運命</strong>
塩野七生さんの「海の都の物語」を拾い読みしていて一番身につまされたのは、ヴェニスがどうやって滅びたかだ。

東洋の産品をコンスタンチノープルやアレクサンドリアから持ってきてヨーロッパに売りさばくというヴェニスのビジネス・モデル。航路の安全だけ守っていれば（ヴェニスの海軍は強大だった。今でも島の一隅に大きな造船所が残っている。そして航路沿岸に基地網を持っていた）、莫大な富を常に手に入れることができたのである。

中世の国際的な力のバランスは、ヴェニスに有利だった。ローマ法王、ビザンチン帝国、双方とも軍事力に欠けた。ヴェニスは、陸上からの脅威を心配する必要がなかった。

だが、東洋の産品を運んで稼ぐというビジネス・モデルは、オランダが香辛料生産地のモルッカ諸島を直接制圧した時（香辛料は自然に生えてたんではなく、農園で栽培していたのだが）、成り立たなくなったし、ビザンチンに代わったオスマン帝国には制海権を奪われた。

だが<strong>経済大国というのは、一度成立するとなんとか存続する</strong>もので、ヴェニスも毛織物やガラス製造を発達させて１８世紀までしのいでいた。

ところがフランス革命後、イタリア方面軍司令官にナポレオンが任命されると、事態は急変する。
列強に干渉される中、フランスは自由・平等・博愛のスローガンを掲げて、攻撃的防御作戦を展開する。

で、ナポレオンはイタリア北部に勢力を伸ばしていたオーストリアと戦いつつ、ヴェニス近辺に迫ってくるのだ。そして、ヴェニスが本土に所有する土地をフランスの大軍が通過する際、糧食費をすべて負担せよと居丈高にヴェニスに迫る。

その物言いは、現代で言うならアフガニスタンのタリバンあたりを髣髴させる。スペインのゴヤの絵を見てもわかるように、ナポレオン軍の行いというのは、とても「自由・平等・博愛」とは言えないものだった。

結論を言うなら、ヴェニスはオーストリアとナポレオン軍との間で「中立」を守っていることを口実に、ナポレオンの要求に対して引き伸ばし作戦を展開するのだが、結局はベタ降りして、独立を失うのだ。

それだけならまだしも、ヴェニスが本土に有する領土は、フランスとオーストリアの間で分割されてしまう。

中国とアメリカという二大国に挟まれている日本にとって、これは他人事ではない。
これまで僕は、日米同盟が相対化し、米中関係が緊密化する現在、日本の安全保障を確保するためには、自主防衛（いくらやっても制海権、制空権は確立できないだろう。核ミサイルも持てないだろう）か、それとも米中双方に基地を使わせる（言って見れば江戸時代、琉球が取っていたような政策）くらいしかないだろうと思っていたが、ヴェニスの運命を知って考え直した。

すべては泡沫のごとく
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<strong>帰路</strong>
帰る日の朝。ホテルの食堂は満員で騒がしい。中国人のツァー・グループがバイキングの周りにたむろしている。ああ、中国人にみんな食われてしまう。

シンポジウムでは皆、「じゃあ、中国はどうなんだ」とすぐ声を出すのだが、中国人は誰もいない。存在は大きいが、わりと外部へのメッセージがない場合もあるのだ、中国は。内部だけで十分やっていけるから。

フランクフルトからは、マイレージのポイントでビジネスにアップ・グレードしたのだが、席は便所の前で、人が出入りするたび、臭い空気が鼻の前を漂う。
そしてその横の乗客席にはスチュワーデス２名が並んですわり、のべつまくなしによく通る声で数時間、しゃべり通す。マイレージ・ポイントを返してもらいたい。

ルフトハンザには、冷たいほどきちんとしたプロシア的規律はもうなくなった。ゲルマン的な規律は、ローマ的、あるいは東欧的な馴れ馴れしさにすっかり占領されてしまったのだ。　（了）

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         <category>街角での雑想</category>
         <pubDate>Sun, 26 Oct 2008 00:48:16 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>政党の公約違反で集団訴訟でもやったら</title>
         <description>朝、犬と散歩していると、政党のポスターが目立つようになった。

具体的に書くとこちらが訴えられかねないからぼかして書くが、多くの政策や公約は大向こうには一時受けても、実際には使えないものが多い。

で、もし政権を取って公約が実現できないと、その政党は「官僚の抵抗」のためにうまくいかなかったとか何とか言って、誰か他のものを悪者に仕立てる。

こんなことの繰り返しでは、国民はいつまでもごまかされているままだろう。

この難しい時代、経済成長を取り戻さなければ、そして予算の使い方や政府の効率を徹底的に見直さなければ（それは本当に難しくて、だからこそ多くの政党も表面的な政策でごまかそうとする）多くの問題は解決できないのだから。

いっそ、政党の公約とかマニフェストの類の実現ぶりを追跡調査して、「これはあまりにひどい」というものがあったら、この政党に投票した人達が集まって集団訴訟でもしたらどうか？　誇大広告とか生産物責任（PL)の発想にもそれは通ずる。

有権者をごまかすのでなく、本当のことをベースに議論しなければ、日本の民主主義はポピュリズムに堕してしまう。
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　Copyright ©０８，１０　河東哲夫

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         <category>街角での雑想</category>
         <pubDate>Sat, 25 Oct 2008 13:33:16 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>現代中国と我が心のうちのパラダイム・シフト―ー上海～杭州を旅して</title>
         <description><![CDATA[（これは２００４年の作品だけれど、僕の書いたものの中でも好きなものなので、もう一度掲載する）

<h4>新しい、もっと大きな日本の出現</h4>                                                    2004年１２月
　僕の乗った特急列車は蘇州の野を突っ走る。時速百五十キロで揺れもしない。三十年前の中国に僕が初めて来た時のあの鈍重なソ連製の車輌、人民服はもう忘却の彼方。車内は日本と同じく二人づつ向かい合い、窓際には小さなテーブルが突き出ている。列車は中国人の行楽客、それもほとんどが中年の陽気な女性達に占領されて、にぎやかなことこの上ない。隣の友人によりかかったり、新しい携帯電話の使い方を自慢げに説明したり、向かいの席に足を投げ出してミカンを食べたり、女性天下だ。まばらな男どもはいずれも地味な服装で、はしゃぐ女どもに気圧されたかのように黙りこくる。窓際では若い男があまりの騒がしさに、テーブルに両肘ついて耳を押さえ、英語の勉強に余念がない。僕のガイドは「毛沢東が女を甘やかしすぎたからだ」と言うと、更に言い捨てた。「うちの娘と来たら、何か言うとすぐ『お父さん、もう古いのよ。言うことが古いんだから』だ。もうええ。どうなってもわしは知らん」。その娘君、日本のアニメのＤＶＤを日本語のまま見て、なんとサシミが好物なのだそうだ。

　 「中国では、都市は発展したよ。でも格差の激しい社会で、農村はまだ貧しい」と人は言う。だから僕も「貧しい農村」を見たくて、汽車に乗った。だが、江蘇省のあたりは中国でも最も豊かで、沿線には農村どころか工場や市街地が三百キロにわたって延々と続くのだ。たまに畑がまばらに見えると、「ああ、あれが農家です。」とガイドが指さす。一般の家にまじって一際高く、一際大きな構えの三階建て、四階建ての建物が「農家」なのだ。いずれも、真ん中に中国風の小さな塔が作りつけてある。

　　日本人は、室町時代に発酵した日本文化は世界に稀な独特なもので、何も色を塗らない空間やいびつな形の美を愛でることができるのは日本人だけだと教えられてきた。だが、「わび、さびの源流は中国にある」と言ったら、怒られるだろうか？　南宋の士大夫の文化こそ、わび、さびの精神で、彼らの水墨画は淡色にすべてのことを言い尽くし、同時代西欧の肖像画と比べれば、その差は歴然たるものだ。だから僕は、ルーツ探しのつもりで上海から汽車に乗り、その昔南宋の首都だったという杭州をめざしている。

　だが聞けば、都のあとは畑に埋まり、いにしえを偲ぶよすがもないという。東京郊外の大きな駅といった風情の杭州駅からタクシーに乗ると、セメントと鉄の塊、高層ビルの立ち並ぶ間をぬけて四車線のトンネルに入る。「天井の上は西湖です」と、こともなげにガイドが言った。白楽天、蘇東坡の詠ったあの西湖も、今では箱根なみに便利になった。

　九年ぶりにやってきた中国。九年前でももう十分、その発展の偉容に圧倒されて帰ったものだが、今回はまた先に行っていた。まるで王朝でも代わったかのように、前代の建物は惜しげもなく壊され、味気のないセメントで街は固められていく。アメリカや日本以上に脇目もふらず、彼らは前へ前へとばかり進む。
　僕が初めて中国にやってきたのは一九七七年の頃、毛沢東の死の直後、「四人組」が逮捕された後だった。その時は、東南アジア、中国、モンゴル、ソ連と回ったが、工場や団地の集積度ではソ連に次ぐ水準で、国の偉容は十分感じさせた。だがカメラを向ければこちらにとびかかってくる風情の人民服姿の青年達、不潔きわまりない公衆便所、自転車、馬車、トラクター、そしてソ連製のボルガやジープやトラックが無秩序に走っていく街道を、むやみやたら警笛を鳴らしつつ走っていった長城への道。すべては西側とは別世界で、後進性にソ連の命令体質、権威主義を重ね合わせた奇妙な混合物を成していた。

　成田空港、上海行き便のゲート。白人の国へ行くのならもう少しすまして振る舞う日本人も、アジアへ行くとなると地を見せる。「ビジネス・クラスのお客様から先にご搭乗下さい」のアナウンスもものかわ、エコノミー客が中国人とともにゲートへとなだれ込む。そして着席前の機内は、アジアの露天市のような雑踏の中、ここだ、いやあそこだ、誰々さんどうしたという女性の大声ーーーだいたいが日本人ーーーで満たされる。無秩序だ。だがこれは、腕力と金が支配するロシアの男性的無秩序とは違って、女性優位の無秩序だ。今ある世界の中で生活欲を貪欲に満たしているだけで、新しい枠組みを作ることなど考えない。アジアへの回帰とは、そうした世界にどっぷり浸かることを意味しているのか。
　上海浦東国際空港の偉容は格別で、巨大の一語だ。鉄柱の列が大地から斜めにせり出し、見る者にのしかかりながら夜の地平の彼方へと延々と続く。鉄柱の間はガラス張りになっていて、下りた乗客はその横を果てしなく歩かされるが、その通路の終わりは見えない。いい加減ショックを受けて車に乗れば、ハイウェーの横の高架を指さし、ガイドが「ああ、あれはリニアモーター・カーです。時速五百キロで市内まで十五分で着きます。」とこともなげに言う。いったい僕はタイム・トンネルをくぐり抜け、三十年先の中国にやってきたのか？

　土地がすべて国有の中国では、開発や再開発はやりやすい。ほぼ百年間の「使用権」を国から得た者達は、一戸建ての家を建てていては引き合わないから、高層オフィス、高層マンションを作りたがる。だからろくな道路も庭もなく、小ぶりの一戸建てが雑然と広がる東京に比べて、中国の都市は高層化が著しい。高層ビルが発展の印ということならば、北京、上海など、もう東京の先を行っている。中国人もこれが発展，進歩なのだと思っていて、一昔前の日本人同様、新しいところばかり外国人に見せたがる。「あれはショッピング・センター。あれは何何社の本社ビル」と、何気なく言っては相手の反応をひそかに窺う。驚いて欲しいのだ。だが、高層ビルのいくつかは、銀行からコネで低利融資を引き出した中国人が建設しては、高値で売り抜くあくどい商売の対象になっている。中国のＧＮＰは強力な製造業に支えられているが、こうしたバブルも実はかなりの部分を占めているのだ。
　古びたバー。「ジ・オールド・ジャズ・バンド」が租界時代の昔さながら、「枯葉」をブルースで奏でる。フランス租界では警察が麻薬の商売をやっていたんです、と中国人が僕に言う。ピアノ、トランペット、サックスは、ジンタのようなドラムに乗って、「魔都上海」のデカダンを紡ぎ出す。
　ここは上海の和平賓館。戦前はイギリス租界のランドマーク。賓館は夜の上海に黒々と横たわる黄浦江に面していて、対岸には東洋一のテレビ塔の中程で無数の星をちりばめたレストランがゆっくりと回転している。ＡＵＲＯＲＡという大きな赤いネオンサイン、リコー、エプソン、フジフィルム、ＮＥＴと様々な意匠のネオンに混じって「連聯集団」とあるのは、ＩＢＭパソコンの買収で今をときめく中国企業。この浦東、九年前僕がやってきた時には、だだっ広い空き地に人気のない高層ビルと工場がまばらに立っていただけだった。

　目を転ずれば、そこは南京東路の雑踏とネオンの洪水。浮き浮きとしたその雰囲気に、誰でも夜の街にあくがれ出る。交通警官の吹く笛の音、時刻を告げるチャイムの音。雑踏の中、アイスクリームかと見まがう焼きとうもろこしにかぶりつきながら、大股にやってくる小ギャル。雰囲気は、池袋のあたりと変わらない。ふと見れば、日本語で「ラーメン」の看板、近くには長崎チャンポン「与作」とある。そのまた近くには堂々と「ＡＤＵＬＴ　ＳＨＯＰ　成人用品」とあり、五百メートルも歩くとあのユニクロの店がある。ユニクロはこのあたりで作っているから、店も日本より大規模だ。

　総中流社会、消費社会が始まった。アベック、グループで歩く若者達、家族連れ、いずれも嬉しそうな顔、顔、顔。皆、楽しくて幸せで仕方ない、といった風情でネオンの洪水の中を歩いていく。だが全体の感じは、根無し草でがさつなマンハッタンのよう。上海市民一人当たりの所得は年間五千ドルを超え、当局は産業構成の高度化、環境対策、サービス業の発展を考えるようになった。日本の隣に、大きな新しい日本が出現したのだ。伝統などは振り払い、生活が日々良くなっていく楽しさに我を忘れた総中流社会が。

<h4>改革と「反日」と</h4>
　 杭州エクスプレスはひたすら走る。と、大柄な女性が直径三十センチはあろうというやかんを乗客の頭のあたりをぶらぶらさせて、熱い茶を注ぎにやってくる。列車が揺れれば乗客に大やけどを負わせるだろう。アメリカでコーヒーをこぼして訴えられたマクドナルドどころの騒ぎではない。列車が杭州に近づくと、「ラ・パロマ」や「黒いオルフェ」のメロディーが、アロハ調のスチール・ギターに乗ってスピーカーから流れ出す。携帯電話の着メロはモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークやトルコ行進曲で、いつも中華料理のにおいとともに思い出す、あの懐かしい中国メロディーはもう聞こえてこない。

　杭州の西湖のほとりには、南宋の英雄、岳飛の廟がある。当時三十代だったこの将軍は、南へと攻め寄せてくるモンゴル軍への徹底的抗戦を唱え、皇帝の側近の讒言にあって刑死したのだ。彼の墓の真向かいの壁際に、彼を讒言したという大臣の像が後手に縛られ、妻と共に正座して頭を垂れる。これは、中国人は民族の敵を永劫に忘れない、だから日本人に対してもあんなに